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4.京都市紀念動物園 (現・京都市動物園)
明治33年(1900)5月10日に大正天皇(当時・皇太子)の結婚を祝う記念として創立し、明治36年(1903)4月1日に、収容動物61種238点の開園をした。全国では、上野動物園に次いで日本で2番目にできた動物園である。(※1)
昭和16年頃から、ヨーロッパでの戦争が激しくなり、ロンドンとベルリンでは空襲による動物園の被害が伝えられきた。このことは、京都も例外ではないが、動物園側はそれほど差し迫ったものとは感じてはいなかった。猛獣類は鉄筋コンクリート構造の寝室に収容されている。仮に空襲になり、爆弾が落ちても脱出の危険はなく、脱出前には死んでしまう。わざわざ事前に処分する必要はないと考えていた。市民にはこのことを強調し、世間のうわさを鎮静化させるために努力をした。(※2)海外の報道にこれほど敏感になっているのは、昭和7年(1932)にライオン脱出事件が焼き付いているからと思われる。(第1章1.資料参照)
昭和18年9月4日、新聞に上野動物園の猛獣処分について掲載され、衝撃を与えたが、京都には貴重な文化財で満たされるので、多少の空爆はあっても壊滅的な空爆はないだろうという楽観論があったと思われる。それゆえ、猛獣処分に関してはそれほど深刻に考えてはいなかった。昭和18年12月14日「国宝、重要美術品ノ国防施設整備要綱」(資料)が閣議決定されても京都にある貴重な収蔵品の疎開が進まなかった。
9月22日、飼料不足を補うために、北区紫野大徳寺町の土地を借り、竹薮を開墾して畑作りを始めた。職員は動物の世話、畑の仕事もしなければなかなかった。(※3)
昭和19年3月12日、第十六師団(実際は第五十三師団と思われる)の参謀長が訪れ、園内が爆撃された場合を想定した防空演習を強制実施させた後、猛獣類を処分するように命令した。
動物園側の都合、飼育担当者の心の整理などは全く無視され、せめて一日待って欲しいと嘆願して処分の作業を翌日から開始することになったのである。(※3)
3月13日から25日まで、ライオン、トラなど14頭を処分し、メスのヒョウとシマハイエナのオスは、3月24日に香川県の栗林動物園に引き取られた。(資料)
昭和19年11月23日、霊を慰めるため慰霊祭が行われた。(※4)
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※1 「京都市動物園100年のあゆみ(平成15年)」京都市動物園 参照
※2 「京都岡崎動物園の記録」滝沢晃夫著 80頁 参考
※3 「京都市動物園100年のあゆみ(平成15年)」京都市動物園 23頁 参考
※4 「京都市動物園100年のあゆみ(平成15年)」京都市動物園 24頁 参考
資料
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