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ある翻訳家の取り憑かれた日常 / 村井 理子著

イオンに入っている本屋のエッセイ・コーナーで偶然出会った。
滋賀在住で翻訳家が書いた日常のエッセイだということで興味を引かれた。(私が京都在住なので親近感)
タイトル、カバー、そしてすごい数字が書かれた帯から、ただならぬ雰囲気を感じた。全く知らなかった著者だったが、後で調べると、これまでに多くのエッセイを出版している有名な方だった。

この本を読むまで、翻訳家の仕事を勘違いしていた。ただ機械的に本の内容を翻訳するだけかと思っていたが、一冊の本を訳すには、その分野の背景情報や事件関係者のTikTokまで調べて翻訳していくようだ。
ミステリーや殺人事件ものを得意としているらしく、事件の関係者や犯人の家族のSNSを覗いて、その人たちのパーソナリティまで把握する徹底ぶりには「そこまでやるのか!」と驚いた。アメリカでは、そういった関係者が積極的に発信しているのも興味深い。

できれば消えてなくなりたいと願ったけれど(結構頻繁に思う)、人生、そう簡単にはいかない。一瞬にして消えてなくなることができたら楽だけど、そうはいかないのだ。

『ある翻訳家の取り憑かれた日常』村井 理子著 / P.62

世の中はゴールデンウィークだが、フリーランスに休みはないのだ。それも、締め切りに遅れているやつには、絶対にない。

同 / P.96

しばらく翻訳漬けだ。今、琵琶湖は一年で最も美しく、過ごしやすいシーズン。それなのに家に籠もって翻訳だ。楽しいから OKだよ。

同 / P.104

先月は誕生日だったが、誕生日を迎えたばかりだというのに、次の誕生日が、もうすぐ後ろに迫っているように感じられるのは、人生をすでに折り返しているからなのだろう。下り坂なのだ。追い立てられているようだ。この下り坂をどう過ごすのが正解なのか、ちょっと真剣に考えなくてはいけないなどなど、考えている。たぶん、また徐々にメンタルが落ちつつある。

同 / P.178

介護していると見せかけて、私はじっと観察しているのだ、ということがバレてしまったら?

同 / P.229

言葉を失って何も考えられなくなったが、人生とは、寄せては返す波のようなもの。いいときもあれば、悪いときもある。悪いときが多いような気がするが、物事は考えようだ。ネタが増えたと思っておこう。

同 / P.285

ツラいことも大変なことも、エッセイに書くネタとして観察してしまう村井さん、スゴイ。日常の出来事に対する解像度がすごく高い。

次男とLINEでやりとりをしていて、勘違いが発生し、大げんかになった。文字で伝えるということは本当に大変で、特に私は文字数が多いものだから(仕方ないじゃん)、息子曰く、「半分以上読んでない」ということだった。わかりあえない二人である。最近は意識して、一行で区切って、簡潔に送っているのだが、それでも「母さんの文章は長い」と言われる。だったらと、写真で意志を伝えるという作戦に切り替えたら、これが功を奏して、こちらの言いたいことはスムーズに伝わるようになった。Z世代は文字ではなく、絵で感情を読み取るのだな。

同 / P.231

「俺ならできる」と自分を奮い立たせながらも、出張に行ったり、養父母の面倒をみたり、子どもの成長に向き合ったり、かわいい愛犬ハリーを愛でたり、落ち込んだり、草刈りしたりと、村井さんの毎日はイベントが盛りだくさんだ。そんな多忙な中でも、仕事に情熱を燃やしている姿は本当に魅力的ですっかり村井さんのファンになってしまった。

日記の合間に突然始まる「原田とエイミー」の小説もサイコーです。

どんな文章も「さらっと」は出てこないわけ。なにやら、濃厚な感情とか、薄汚い思惑とか、そういうものが渦巻いていて、それをぎゅっとまとめて、多くを削って、ようやく形になる。

同 / P.238

村井さんの「取り憑かれた日常」は大和書房のサイトで連載が続いていて、続きを読むことができる。


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