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とんぼ

新入社員としてメーカーの営業に採用され大阪に配属された。出身は神奈川で両親は相馬の生まれ、大阪は縁のない土地だった。

営業は既存の顧客対応と新規顧客開拓が求められていた。先輩達は新規顧客開拓を実現させ顧客にしていた。

同じ役割を期待されていた。しかし、どうしたらいいのか分からない。先輩達は新規顧客に電話してアポ取りして訪問していた。一緒に新規顧客に行ってどういう話をして開拓に結びつけるのかジョブトレーニングが行われた。入社一年目はジョブトレーニングで終わった。

二年目からは自分でアポ取りして訪問し新規顧客開拓に努めた。そんな簡単に顧客開拓など出来ない。営業会議では月次売上の見通しと新規顧客開拓の進捗について質疑応答がなされた。私が有能だと思う先輩達も営業会議では厳しく課長に問い質されていた。

技術者に相談に行くと新規顧客開拓の実績のある営業が優先され私の話など聞いてくれなかった。技術者にとっては実りのある仕事をしたいのだ。無駄な時間に終わる可能性が高い私の話など聞いてくれない。

そうした営業会議や技術者への相談を繰り返していると徐々に慣れてくる。新規顧客訪問を繰り返していた時、私に注文を出してくれる顧客が現れた。

門真の事業所に朝行くとみんなで社歌を唱和する会社だった。大した売上の仕事ではなかったが自信になった。

次に獲得した注文は顧客の主力事業の製品だった。金型を作り試作するが上手くいかない。結局量産するまで半年を要した。その仕事はまもなく受注して半世紀になるが今も毎月注文を頂いている。

私に注文してくれた I さんには恩義がある。大阪の地でやっていけそうだし、この会社でもやっていけそうだと思うきっかけになった。

年二回接待で一緒に北新地や I さんの懇意なお店で飲んだ。二軒目はカラオケで I さんのお気に入りの北新地にあるバーで歌ったり語り合ったりした。

大阪出身の I さんは私と反対に就活で赴任地が関東だった。そこを退職して大阪に戻り総務購買の責任者として仕事していた。

カラオケで I さんは必ず長渕剛のとんぼを歌った。「東京のバカヤローが」という歌詞を一際大き声で力を込めて歌った。知る由もない関東での I さんの苦労が偲ばれた。

I さんが私に注文を出してくれたのは私の境遇が I さんの関東時代と被ったのかもしれないと思う。

その I さんが会社を退職したと聞いた。I さんを呼び出して会食しながら話を聞いた。会社で吐血したと I さんは言った。自らの健康のために会社を退職したと聞いた。家族子供のことを聞いた。私の人生の恩義を感じる人だ、けれど何も満足なことは出来なかった。

そうしている時に人事異動で東京本社の部署違いの営業をすることになった。I さんとの交流は途絶えた。

交流は途絶えたが今も I さんには恩義を感じている。

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