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栗おこわと塩おにぎり

秋の味覚といえばたくさんあるが、代表格の一つに栗がある。また年中食べられるという事で忘れられがちではあるが、お米も新米のシーズンには盛り上がりを見せ、秋の訪れを感じる食べものだ。

先日、道の駅で地元のおいちゃんおばちゃんに混じって炊き出しイベントに参加した。
おばちゃんたちが作る栗おこわに混じって、私自身は塩おにぎりを担当した。塩おにぎりは以前からYouTubeやインターネットで調べたり、美味しいおにぎり屋に通いながら学んでいた。

おばあちゃんたちの栗おこわは、地元で味自慢のおばあちゃんから教わったものだという。秋の炊き出しや集まりで毎年のように作ってきた味は時代をまたいで地域のおばちゃんたちによって受け継がれてきた。

味自慢のおばあちゃんはその時代その時代で料理についてなら村一番の物知りで、料理のことならなんでも教えてくれた。情報屋であり、料理人でもあった。

高度経済成長とともに、釜戸はガス釜に代わり、調味料も地元のものから大量生産品へと変化した。急速に情報や科学技術の発展によってたくさんの選択肢ができ、それらを慌ただしく選んできた。

かつては年配で味自慢のおばあちゃんから、ことあるごとにゆっくり学んできた味付けは、インターネット上の味自慢たちから数十分の動画で教えてもらう時代になった。年配の味自慢の人が一番の情報通でもなくなり、長年の日本各地で積み上げてきた地元の味を受け継ぐシステムはこの半世紀でどんどんと崩れ去った。

若い世代はインターネットを中心に情報網を駆使し、地元にこだわらず各地に赴き、旅をしながら成長していく。おばちゃんたちは地元の付き合いを大切にしながら、地元で学んできた知恵や技術を使いながら、たまにスマートフォンを取り出して調べごとをする。

情報も物流も流れが早くなってきた現在に、地元に固執することはない。かといって地元で営まれてきた全てを無視して流行や独自路線を貫くだけではもったいないくらいに醸成した文化を日本各地の田舎は持っている。両者が混じり合いながら、美味しい味付けに辿り着けば、より地元の味は進化するように思う。

日本各地における文化・慣習・民俗がより良くなるように、といった動きはまだまだ伸びしろのある分野だ。「田舎は衰退する」「消滅していって仕方のない」と嘆くこともある。逆を言えば、地元の文化を今よりも質の高くするよう見直したり、地域外に発信する視点を持ち続け、行動することもできる。

ゲームやSF映画のように文化や民俗は一瞬にして変わらない。日々の積み重ねが地元の個性をつくっていく。


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