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美味しい論争|「書く習慣」DAY-1

ずっとやってみたいと思っていた「書く習慣」チャレンジ。
チャレンジとか、習慣とか、どうしても惹かれてしまう私。
多分、自分が苦手なこと(でも達成してみたいこと)だからだと思う。

続けるって本当に永遠の課題…
あまり肩に力をいれすぎずね。短文な時があってもいいじゃないの。

そういえば、今日読んだ森岡毅さんの著書にも書いてありました。

人は変わろうと思ってもなかなか変われない。なぜか?
それは、変わろうと覚悟したときの意識変化と、
実際の行動変化までのタイムラグに耐えられないからである。

・すぐには変われないこと
・時間がかかることを織り込んで、変わる努力を継続すること

苦しかったときの話をしようか

肝に銘じて、いざDAY-1いってみよう!


最近、意識的に変わろうと試していること。
それは「他人の評価軸で生きすぎない」
「他人の評価軸でなるべく機嫌を左右しない」

具体的にいうと「自分から」「美味しい」と口に出すことです。

作ったからには、開口一番、相手から「美味しい!」と
こちらが求めずとも言って欲しいんです。(傲慢・・でも・・!泣)

だから、「お、上手く作れた!」と思っても
自分からは「美味しい」と意地を張っても言わなかったんです。
(そこの青年よ「美味しい」というのじゃ…と無言の圧をかけながら)

仮に美味しいご飯が作れたとしても
彼が美味しいといわないと、私の機嫌は下がり
彼が美味しいといえば、私の機嫌は上がる

これって精神衛生上、良くない。
相手の反応でこちらの気分が変わるのは当然のことだけれども、
私はその相手の反応に全振りしていた気がする。

彼の言い分としては、
・美味しいと口に出さない=まずい、ではない
・自分は言うようにしてる!言ってない?
(食べ終わった後に言ってくれることが多い)

ふーん・・・

考え方って本当にいろいろだ。
たしかに、思っていても口に出さない感情だってあるのは理解するが、
作り手の気持ちを考えたら言ってよ!美・味・し・いの四文字くらい!
(今思えば、実家にいた頃、意識的に母に伝えていたことを思い出す)
そして、感情が湧き上がったであろうその時に!
食べ終わってごちそうさま、と同じテンションで言わなくても…

なんて、自分でもそんな傲慢な、と思うくらいの言葉がたまりにたまって
ドバドバでてきたわけです。

決して、美味しくなくても美味しいと言え〜!!!!と
言っているわけではなくって、
すごいと思った瞬間にすごいと、うわぁ!と言うように
悲しいと思った時に、涙が出るように、
びっくりした時に、なにこれ!!?!と声が漏れるように
感情が動いた時に自然と出る言葉がたまには聞きたいなと。
またご飯を作るガソリンになるのにな、なんて思ったわけです。

相手に思うことはありつつも、自分のマインドにも問題はあるなあと
反省しました。
・相手が好きな味付けになってるか
・そもそも、ちゃんと美味しいのか!?!(大大大前提)
・自分の好きなものばかり作っていないか
・今日はこれがちょうど食べたかったんだよ〜という気分って
人にはあるよね(ああ、今日魚か・・・みたいな)
・仕事で疲れている時だってあるよね

ざっとこんな感じで、自分の行動も振り返り、要求ばかりを押し付けていないか考える良い機会になったなと思います。

そんなこんなで、相手に左右されすぎずに、
自分が美味しいと思ったら素直に「美味しい!」「今日はうまくいった!」などと自分が一番に認めてあげることにしました。
しがらみが消えて、惨めになるのかと思いきや、そうでもなく
なんだか楽になったのがびっくり。

相手がどう思おうが、たとえ美味しいと口に出さなくても
私が作ったご飯の価値は下がらないし、
美味しいなら美味しいままだ。まずくはならない。
事実をそのまま捉えること☺️

そして、彼自身も変わろうとしてくれて、
穏やかに食卓を囲むことができるようになってきました。
変わろうと実践しようとするってすごいことよなあ。
人を許すこと、大事な人のために自分が変わろうとすることも
彼から教わりました。色々あっても、尊敬です。
(彼には森岡さんのいう変わるまでの「タイムラグ」がほぼないのかも?
努力でカバーできるものなのか?どっちみち私にはなかなかできないので
すごい)

二人暮らしは、一人で暮らしている時よりも何倍も自分と向き合わざるを
得ないし、気づきがあるなと感じます。
(考え込む性格の自分にとっては、しんどい時もよくある!!!!)

でも昔より、自分の行動を立ち返ったり、自分レベルで小さいところから
変われる心掛けをしてみようとしてる気がする。ちょびっとの前進。

ずっ〜と修行や!押忍!


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