ブログ主プロフィール
東大の合格発表の日、ネットで自分の受験番号を発見し、快哉を叫ぶ息子と抱き合って泣いた日のことを私は生涯忘れることはないだろう。
いつの間にか私の身長を超していた息子の肩や背を叩きながら、「長かったな」と声をかけるのが精一杯だった。今思うに、もうちょっと気の利いたことを言えばよかったと後悔している。
息子が小学生の頃、そして中学時代は、私は息子の勉強のサポートに、文字通り心血を注いでいた。彼と同じ目線でゴールを睨み、共に闘うチームとなった。
息子と私
ひとり息子である彼は、地方の寮生の中高一貫校に入学。その後彼は、中学卒業と同時に別の高校を受験し、その高校から現役で東大に合格した。
ちなみに父親の私はデザイン系の専門学校卒である。妻も短大卒で、二人とも神奈川県の公立中高を卒業している。両家の家系で東大出身はなく、私の実母の最終学歴は中卒である。こういうケースを最近では「※ファースト・ジェネレーション」というらしい。
2019年時点で私も54歳である。本名で書こうとしたが、息子に迷惑がかかってはいけないと思い直し、「店長先生」という仮名にすることにした。私自身は福岡県に生まれ、家庭の事情で14歳の頃に神奈川県へと移住し、現在は都内の下町と呼ばれる地域に住んでいる。
工業デザイナーとしてキャリアをスタートした後、いろいろあって(かなり割愛…)Webデザイナーとなり独立。友人を唆して共同でソフトウエア開発会社を作り、以来20年ほど経つ。いわゆるITバブルという時代に、VCから上場の打診を受けていた華やかな時代もあったが、結局上場はできなかった。今では長年お世話になっているクライアントのために小さな開発物をコツコツと作る会社になった。
少し前まで、都内で飲食店も経営してみたり、そこそこはやりたいことをやって、生きてこれたと言う面では恵まれているのかもしれない。
なぜ、私の息子は東大生になれたのか?
こういう親からなぜ東大生が生まれたのか、なぜ子供の教育に嵌っていったのか、これから少しづつ綴っていこうと思う。
誰もが初めて子供ができて、初めて親になる。初めてだから失敗も多い。しかし、息子と正面から常に対峙してきたおかげで、息子にも親である私の、良い面、悪い面を理解してくれていると思う。
そう、親子関係は綺麗事ではすまない。いろいろあっていいのだ。しかし、そのいろいろの渦中にある方には、なかなか俯瞰できないものである。そういう方の一助となりたいと願っている。