走るということ。
ほぼ、週5から6回、2年間走っています。もう直ぐ5,000キロになります。2018年8月くらいから一念発起をしてまずはお腹周りに増えすぎた体重を落とすことを目指しました。それとずっ30代から頭の隅にあったフルマラソン42.195キロの完走を目標にしました。
当時の体重は81キロでした。
走り始めて、続けることが肝心。
僕はわりと決めると続けることができる性格?だと自分では思っております。(30代の後半、ランニングを日課にしていた時期もありました)そんな性格なのか2018年8月から走りじめて、それは毎日毎日走りました。月に200キロ、300キロと増えて行きました。
3ヶ月くらいしたらこれはオーバーワークで足を痛めました。
仕事で東京に1週間ほどいる間も毎日走っていました。
母の自宅(東陽町)から皇居のお堀を1周して戻ってくるとおよそ21キロになります。木場ー門前仲町ー茅場町ー日本橋ー大手町ー東京ーそして、お堀に到着。町並みがどんどん変わっていくのも面白い。
その朝も快調に走りました。しかし、走り終わって右足のかかとに違和感、痛みが走ったのです。右足のかかとの筋肉に炎症が起きたようです。翌朝は右足を地面につけるだけで痛みが走ってこれは無理しすぎたと思いました。
その傷んだ足をひきづりながらタイ・チェンマイの自宅に帰りました。ネットで見ると足裏の筋肉の炎症が回復するまでに1月はかかると書いていました。
しかし、2週間もすると走りたい気持ちでムズムズしてきました。チェンマイ は乾季の11月。早朝の気温が10度台、爽やかで絶好のランニング日和。これはちょっと走ってみたいと10キロほど走りました。
やはり無理したらダメですね。走り終わる頃、足に痛みが走りました。これはダメだと観念。1月間しっかりと休むことにしました。その間、足裏の筋肉や他の筋肉を鍛えることに専念。
晴れて翌年2019年の1月からランニングを再開。今度は大丈夫。体を観察しながら走るようになりました。練習も1週間に1度くらいは休みを入れて走ることを続ける。それでも毎月300キロは走る。多い月は360キロになりました。
2019年5月フルマラソンの予約も入れました。チェンマイで行われるマラソン大会です。11月16日(土)です。これを目標にしました。
2019年9月くらいからフルマラソンを目指したランニングを始めました。
しかし、ここで問題発生。11月は仕事と重なりマラソンには出れない。仕方ないのでこれはキャンセル。
ネットで検索したらその名も「チェンマイマラソン」が12月22日に行われることがわかったので急遽、そこを予約。料金は6000バーツ(日本円で2万円ほど)
1週間に一度は20キロ走る。フルマラソンの前までには30キロを走っておく。
10月後半には33キロ走破。これで少し自信がつきました。しかし、33キロプラスあと10キロですからね。これは大変だなぁっと思いました。
11月は少し緩やかに月に250キロほどにして体の疲れを取るようにしました。この頃、日本に出張で、日本の旅先で走っていました。気温も低く気持ちよく走れます。マラソンって高温多湿の中で走るのは過酷です。
12月、チェンマイも完全に乾季になって朝の気温が摂氏11度から14度ほどです。走るのはちょうどいい感じです。
チェンマイマラソンは12月22日(日)この1週間前からは長く走るのをやめて軽めのランニングのみとしました。3日前からは走りません。体をほぐす体操だけにしました。
12月20日、登録確認とゼッケンをもらいにスタート地点に設営している事務局に行く。ここでサインをしてゼッケンとコースマップをいただく。
コースマップがネットに出ているものと違う?コースが変わったのか、、、、。どっちが正しいのか。スタッフに聞くと今日いただいた紙のものが正しいそうだ。
だいたい、明後日走るのにコースが変わるのかと、まぁ、タイだしね。気にしないようにする。
12月21日はスタート近くのホテル泊にしました。当日のスタートは午前3時です。早めに夕食をとって早めに寝ようと、起床は午前1時半ごろにしました。逆算すると午後8時には寝たい。
ホテル近くの日本食で定食を食べる。そして、走る前にエネルギー補給するためにコンビニでチョコレートや飴を買う。
さて、午後7時にはホテルに戻り、シャワーを浴びて準備万端。午後8時にはベットに入るも目が冴えて眠れない。しかないので本を読み始める。午後9時、寝なきゃと焦る。午後10時だけど全く寝れない。午後11時もうこれは寝れそうもない。ただ横になって疲れだけでもとっておかなければと目を閉じてじっとしている。
22日になった。午前1時もう寝るのを諦めた。一睡もしていない。しかし、気持ちは完走することだけに集中。シャワーを浴びて体もしっかりと起こす。しかし、体は正直です。一睡もできなかったのでちょっとだるい感じがする。でも、完走。完走。そのことを念ずる。
午前1時50分には歩いてスタート地点に、すでに大勢が集まっています。みんな寝れているのかしら、、、やはり体と気持ちがちょっとチグハグ。
準備体操をしながら気持ちを高めることだけを考える。来年は60歳。還暦ってやつです。その前になんとしてもフルマラソンを走り切りたい。
思えば30代、40代と頭の中で挑戦してみたいと思っていました。ランニングだってしてましたし、距離を正確に測ったわけではないですが当時自宅があった横浜の鶴見川沿いを40キロほど走ったこともありました。
しかし、フルマラソンを完走したことにはならない。
僕がこの先、60歳、70歳と老いる中でこれをやり切ったという自信が欲しい。やればできるということを確信したい。「挑戦」を常に心の中に持っていたい。このマラソンにそうした思いがあった。
午前3時スタート。大勢の塊がゴールを目指して走り始めた。兎に角ゴールすることだけを考えてスタートを切りました。1キロ地点、体も温まってきた。3キロ地点、まだ始まったばかり皆さん余裕の表情。5キロ地点これまでの練習の成果か、、、、体が前に進む。体が軽く感じる。このペースで行ければ4時間代は軽いなぁっと思いつつ走る。
10キロ地点、この時点でも体は軽い。15キロ地点。息が少し辛い、足もだんだん疲れてきた、少しペースが落ちてきた。各給水所では必ず水を飲んだ。しかし、これは後から考えれば飲み過ぎだったと思う。
20キロ地点、運河道路にそって西に走る。折り返し地点が見えない。さらにペースが落ちる。
23キロ地点で折り返した。まだ半分ほど。ペースメーカの人たちが旗を掲げながら走っている。3時間、3時間半このペースメーカの人たちはとっくに去っていった。4時間のペースメーカーの人たちとは200mほど先を行っている。
僕は4時間半のペースメーカの人たちの前を走る。これまでの練習の想定では4時間40分くらいで走れるのではないかと思っていた。
ある程度想定していた走りだ。給水所でも止まったりしない、歩きたりもしない、常に走る。足を上げる。30キロ地点あたりで自宅周辺まで来た。
いつもの練習コースと同じコースをたどる。足がかなり疲れているのがわかる。こうなったら気力のみ。完走だけを考える。
後ろには4時間半のペースメーカが迫っている。
33キロから厳しい登り坂になる。ホイトゥンタオ公園に行くためのきつい上り坂だ。およそ2キロはある。ここで必死に足をあげる。4時間半のペースメーカに抜かれてしまった。なんとか4時間台はクリアーしたいと懸命に走る。
坂を上り切ってUターンここからは登って来た分だけ下りになる。
下りもかなりきつい、足でスピードを殺す必要があるので、足の筋肉を使う。
下きったら37キロ地点、あと5キロだ。ここからは気力で走る。
かなり走るスピードが落ちて来た。顔をあげることを心がけるが頭が下を向く。地面を見つめながら走り切るんだと自分に話しかける。
5時間代のペースメーカーの人たちが近づいて来た。なんとしても4時間代で走る。気力を振り絞る。
見えて来たゴールが、軍隊の施設の中の軍人が馬に乗ったモニュメントがゴールになる。
そのモニュメントが見えて来た。あと少しだ、、、、。
え、モニュメントはすぐそばだけどその横を通り過ぎて広大なグランドを回らなければいけない。時計は4時間57分を示している。あと、3分で行ける距離じゃない。しかし、腕を振って足を上げて体を前に進める。
300m手前あたりで5時間が過ぎた。
でも、一番大事なのは完走。兎に角、全身に力を込めた。
やっとゴール。完走! 5時間3分だった。
4時間代ではなかったけど、走りきった満足感はあった。
しかし、もっと感動するかと思ったけど、心はなんとかやれたなぁっと思うくらいだった。終わってほっとしたというのが正直な感じだ。一つの目標が終わった、次の目標を早速、考える。
あと数日で60歳になる。昔なら定年の年齢。しかし、人生これからなんだと思う。
今日も走って来た。走ったから健康になれると思っていない。ただ、毎日ご飯を美味しく食べることができる。これだけでも嬉しいことだ。そして、体を動かし続けることで体力は維持できる。
体力があれば色なことに挑戦できる。そこが大事だと思っている。
奥野安彦
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