音楽と郷愁感

ずいぶん昔に読んだ梅原猛先生の著書に「東北は日本人の原風景」みたいな話が書いてあって、東北の風景は知らぬ景色なのに見ると郷愁感がわく

みたいな話だったんだけど、東北のことは知らないけど内容はわかる
音楽にもそういう側面がある

「赤とんぼ」なんて聞くと、わけもないのに涙が出そうになるよね
なんでだろうね

幕末以降日本に持ち込まれた西洋音楽に日本人の心を吹き込もうと作曲家たちはがんばった
努力の甲斐あって日本風西洋音楽は見事に出来上がった

日本音階として知られる「ヨナ抜き」
ドレミファソラシドの4つ目のファと7つ目のシを抜いた
ドレミソラドという音階にして音楽を作るというものだが

これは西洋音楽の概念に日本の音楽をはめ込んで日本風にしたもので、黒人の音楽を西洋音楽にはめ込んでできたブルースに似ている
まぁ、世界各地でこういうことが行われたわけだけど

言ってみれば、日本風音楽ということになる
しかし、それでもなぜか「赤とんぼ」のような童謡を聴くと郷愁感がわく

逆に日本の伝統音楽である琴やら琵琶やらの音楽を聴いてもそこまでにはならないのに(これは個人差があると思うけど)
なんでだろうね

たぶん、茅葺の集落みたいなのを見ると郷愁感みたいなのは感じても、実際に住むとなると住めないよね

「心」とは後天的に作られるもので生まれてきた時には持ち合わせていないらしい

例えば、赤ちゃんが泣いている
赤ちゃんには「快」と「不快」しかなく、周りの大人が声かけすることによってその状態がどういう状態か学習する

どういうことかって言うと、泣いてる赤ちゃんに無言でお乳をあげたりオムツを変えたりする人はあまりいないわけで

「おなかすいたんでちゅねー」とか
「おしっこして気持ち悪いんでちゅねー」
とか言うわけだ

そうすると
「これはおなかがすいたということなのか」
とか
「これって気持ち悪いんだ」
とか学習するらしい

何かしらの出来事において「悲しかったね」とか言われると
「あぁ。悲しいことなんだ」と思う
それもそういうものの一つ

僕らはそうやって周りにいる人によって感情を作られていっているんだって
音楽においても同じかもしれない

聴いたことのない音楽を聴く前に「これ、かっこいいんだぜ」とか言われると
「これがかっこいいのかぁ」とか思った思春期

それもそういうことだったんだ

で、話を戻すと「赤とんぼ」に代表されるような童謡ってのは、「童謡」と字のごとく子ども向けとして聴かされる
そうすると何も知らない子どもにそれが刷り込まれるってことだ
何が刷り込まれるのかはそうわからないけど

冬になると「雪やこんこ」鳴らしながら走ってくる灯油売りのトラックとか
なんか、寒いし切ないし冬だなって感じするもんね

何が言いたいか
僕らの感情や心、それは小さい頃からの刷り込みでできてるってこと
いい意味でも悪い意味でも

それは大人になってもなくさんある
ちゃんと取捨選択できる自分でありたい

山田耕筰さんの音楽は素晴らしい
ここはあえて、山田耕筰さんの交響詩

どうでもいいけど、もう春
春になったら日本音階調で桜の歌出すの
そろそろやめませんか?(笑)

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