5月17日「幼稚園生の魂百まで」
お題:呵々、嫋々、嘖々
2021年5月17日の日記。
新しい本に着手。
又吉さんの「東京百景」。めちゃくちゃ良い。
あとがきから読んでしまったんだけど、こりゃまた最高に良かった。
私は物覚えがとても悪い。したがって、本は三回くらい読まないと読んだ内容を思い出せない。無限に時間があればそれもできるんだろうけど、残念ながら私の生きる社会の時間は有限である。そのため、一度で三度味わえる読み方を模索した結果、あとがきを先に読むことに辿り着いた。先にあとがきを読めば、作者の軸が見えてくるから、それにそって内容を理解すればいい。しかしこの手法、小説に関しては歓迎されない。小説のあとがきの内8割がネタバレだからである。それもそのはず、あとがきなんだから本編に書ききれなかった内容を補足したり、本編に乗せた自分の思いを書くに決まっている。
今でこそ、「ネタバレ!ダメ絶対!!」と思っているが、数年前までネタバレにはかなり寛容だった。いやむしろ推奨していた。
特に映画、小説のネタバレを積極的に摂取していた。あとがきネタバレならまだ良い。有名な口コミサイトを梯子し、そこでネタバレに染まり、作品をみていたのである。ネタバレありきで本編をみれば更に理解が深まるだろう!と思っての行為だったが、楽しさが半減、いやほぼ全滅した。この経験から、ネタバレは悪だと学んだ。
こう思い返してみると、どんな本であれ始めから読むべきな気がする。今度からちゃんと前から読もう。
自分で自身の短所に気がつき改善することは、とてもいいことだと思う。ただ、その気づきは一度失敗しないと得られないから、なにか大きな失敗をしでかす前に改善したいものだ。
最近人に注意されることが減ったなと感じる。いや、自分が抱える作業について叱ってもらえることはあるんだけど、自分自身が怒られる経験を久しくしていない。
例えば、「その考え方は一方的」とか「人を大切にしろ」とか「自分勝手」みたいな。
人から注意されて得る気づきって、自分が失敗から得る気づきよりはるかに影響力がある。幼いころなんかは、それが人格形成に大いにかかわったりする。
私が幼稚園生の頃、近所の友人宅で遊んでいた。当時私たちの幼稚園では、ディズニープリンセスが大流行しており、その日もプリンセスのフレームに入ったチェキを撮れるという理由から友人宅へお邪魔していた。プリンセスの一番人気はアリエル(リトルマーメイドの)で、私もランダムなチェキフレームの説明を聞きながら、胸中ではアリエル来いアリエル来いと叫び倒していた。そして遂にシャッターが押され、なんと結果はアリエルだった。嬉しさのあまり呵々と笑いながら、友人に見せびらかす。いいでしょ~と。
今考えると最悪な子どもである。絶対に友達になりたくない。なのにどうして今より友人がいたのか…。
友人は、嘖々ともせず、私にこう言い放った。「それ自慢っていうんだよ」。自慢?自慢って何ぞやときくと、「今のあなたみたいなこと。みっともないんだよ。」と追撃された。勉強家だったので色んな言葉を知っていた友人。彼女の注意を今でも思い返す度、嫋々と心が引き締まる。
嫋々の使い方合ってる?誰か注意してくれ~~~