「すごい言語化」は役にたつ
書店に行くと、言語化の本がよく並んでいる。
仕事をしていても言語化の話が良く出てくる。↓
(言語化をやめましょう。といちゃもんをつけてる自分語りがあった)
言語化、、、、ブームなのか?
人間の本質はノンバーバルコミュニケーションに決まってる。
はたく、かじる、撫でる、ひっかく、、、コレである。
肩寄せ合って、裸でおにぎりを食べれば良いのだ。
と、思ってはいるが、わたしの趣味でもある読書は全て言語化された産物だ。
みんなが言語化を放棄したら、わたしは困ってしまう。
言語化ブームと、言語化の本質に向き合うべきではないか、、、。
「すごい言語化」という本で言語化とはなんなのか、一発学んでおこうと思った。
この本は俗にいうビジネス書だった。ストレート、ど真ん中のビジネス書だ。
ビジネスに活路を見出すノウハウが書かれていて、その手段が言語化だ!
この本に記されている言語化を実践するために、言語化についてきちんと言語化できるのか?
試みようと思う。
本の感想を言語化。
著者が言語化の達人なのかスラスラ読めた。
しかし、この本に限ったことではない大抵のビジネス書はスラスラ読めるのだ。
ビジネス書あるあるとして文字の級数がでかい。見出しがでかい、イラストや図が多い。すぐに顧客を恋人に例える、スティーブ・ジョブズのiPhoneの話がしつこいなどの特徴が起因しそうでもあるが、最大の要因は、中身につまづく事がないからだ。
逆説的に中身につっかえる。読むのに時間がかかる本というのは何か?について、読むのに時間がかかった本を例に挙げnoteを書き進めたが、感じが悪くて消した。あまりに小賢しかった。
言語化のために、考え方の型を変えろ。と諭しがあった。目的と手段が逆転してる気がして、いまいちノれない話だが、まぁビジネスではそうなのだなとある程度納得した。
ろくすっぽ金もない、社会人として半人前のわたしが不得意なビジネスで突っかかる話ではないが、金勘定を本を読んでどうにかしたいという欲望が端にあるなら、ソレは極めてセコイ本との向き合いである、ということは考えてしまう。
生活の延長の仕事で悩んで上手くいかないときに、本が支えになるのであれば、ソレは1万点の価値があり素晴らしいことだけど、いまの自分には該当しなそうだ。
言語化を言語化。
言語化という本来の「考えを言葉に置き換える」という点だけに的を絞ると、やはり斜に構えたようなことしか出ないが、人間はそんなに単純なmindで生きていない、言語化とはmindの表面を杓子ですくって限りある言葉にのせる程度のことだと考える、人はそれぞれ精神世界が深くて重層的だと確信している。
言語化の力を過信しているなら、それは人間の心の営みを舐めていると同義である。
そして、もう一つ加えるとしたら精神世界と同様に世の中の難しいことは、簡単に説明できないのだ。
わたしが日々の生活をスムーズにこなせないのは、全てのことが難しいからだということを忘れたくない。
飛行機が発着する仕組みを、異国の紛争問題を、他人に対する想像を、偉人の格言を、一言、二言で話せる人がいるとしたら、わたしはソレを信用しない。
難しいことを言葉を尽くして説明してくれるから、わたしは本が好きだし、本に頼るのだ。