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「“右翼”雑誌」の舞台裏 は役にたつ
新書だーいすき。
新書は、はやい、安い、美味い!が揃っている。インスタントスタディが詰まっている。学びの吉野家だ。
人生に必要不可欠とまでいえる、新書も吉野家も。
2025年新書大賞を覗いてみた。
ひときわ目をひいたのが 、、、
「“右翼”雑誌」の舞台裏
タイトルつよっ!!
右翼雑誌ときいて真っ先に浮かぶのは『Hanada』。
なんでも右とか左で分けることは思考停止でよくない!という想いは当然あるし、ろくに読んでもないのに勝手な印象だけをHanadaに向けると、例えば反韓•反中感情、憲法の話になると反米と、とにかく他所の国が気にくわない右派•ウハなメディアという印象だ。
右派はいいが、個人の好みの問題でしかないが寄稿してる人の顔ぶれがキツい。
「“右翼”雑誌」の舞台裏 の【舞台裏】の部分に、Hanadaなるものを好む購読者への煽り方や戦略に形式立った理論があるのであれば、ソレは絶対面白そうー!
買うっきゃない!東京駅のMARUZENでね!!!
MARUZENはいいよね。アクセスもよければ品揃えもバッチリ。
八重洲ブックセンターの亡きいま、MARUZENさまと仲良くやってる。
ちなみに、カバンのサイズ的に一冊しか買わないと決めてたから
「景気はなぜ実感しにくいのか」という本と迷いに迷った。
これも気になる。なぜ実感しにくいの?
誰か読んだことある人、実感しにくい正体を教えて欲しい。
あと東京駅にいくと美味しいモノありすぎる問題、という話もしたい。したいけど、長くなるからヤメた。うどん、、、カレー、、、
「“右翼”雑誌」の舞台裏
Non Political
著者は右翼雑誌で編集をしていた中の人だ。
まず驚きは右翼雑誌の編集者はノンポリが多いとのことだ。、、、ほんとかなー?
著者が右すぎて、少しの右は左に見えてしまっている天動説ではないかと邪推してしまった。
しかし政治家ですらビジネスで保守だなー、と感じる人もいるので、まぁあるかー。
オリエンタルランドに勤めていた友人はディズニーを好きではなかったし、音楽レーベルに勤めている知人は音楽をあまり聴かない。
薬局に勤めている友人も薬が好きな訳ではなかった。考えてみるとわたしも例外ではない。そんなものかー。
面白いモノを作りたい
Hanadaの真髄にあるのは花田編集長の面白いモノを作りたいという気持ちがまず有ると、たびたび本の中で筆を重ねられていた。
ヘイト本!という批判には、見出しは強くないと読者が読まないでしょう?という問答が掲載されていて、それはやっぱりエンガチョだ。
『WiLL』が安倍晋三 批判に傾きかけたときは売り上げの低迷を予測して路線を変えたと書かれていた。民間企業なのだから読者が求めるもの=売り上げを求めないとやってられないというのは悲しいけど、頷くしかない。
安倍晋三は、学生時代から右翼雑誌を熱心に読む青年だったとも書かれていて、のちに右翼雑誌のスーパーアイドルになり、第二次安倍政権以降は、完全に安部応援団化するという経緯は、まさに歌って踊るアイドルのサクセスストーリーのようだ。
面白い本だったなー。
著者のモノの考え方や編集者としてのバランス感覚みたいなものが伝わってくる文章だった。
仕事の鬼!って感じが自分にないものを持っていてフムフムなんて一気に読んでしまった。
わざわざ雑誌を買ってくれた読者に真偽不明、根拠のないモノを届けたくないという著者のマインドは心から応援できる。
その文脈で茶々を入れるなら、Hanadaの購買層はネット右翼おじさん、だけじゃなくてもっと広い層にリーチしているという主張は数字で示して欲しいとも思った。
本の中で「わたしたちは理解されない!」という被害者意識にも似た気持ちも書かれていた。
自民党の受け口が広すぎる、野党が弱っちすぎるという側面を抜きにしても、選挙の結果をみれば、Hanadaの様な考え方はグラデーションはあるにせよ、世論と捉えても差し支えない、、、、と、いったら言い過ぎかもしれないけど、まぁそんな感じには思う。
これだけ自民党政治が続いているので普通に見聞きするものがちょっと右というアバウトなバランス感覚だけは持っておきたい。
加えて「右派も改めるべきことがある。」という様な切り出しもあり、この「右派【も】」に込められた想いや根拠が綴られてないのが不満に思いつつ、政治論壇がこの本の本懐ではないと考えれば無いものねだりかもしれない。
最後に印象論だけど、朝日新聞を目の敵にするHanadaの歴史が伝わる本だった。
朝日といえば、慰安婦問題のデマ記事という事件がある。朝日が弱っちくなって、強いてはジャーナリズムの信頼性という意味で大きなインパクトだったよう妄想する。
しかし、後のプロセスは20%も肯定できるないけど訂正している。訂正報道を出している。
マ•ジ•でくだらない話だけど、オールドメディアは死んだ!みたいなことを最近目にする。
間違えたら訂正報道をするという姿勢と責任が伴うメディアの代替に、有象無象の個人のネットの発信が現時点でなり得ているか、素直な読解と慎重な気持ちで判断して欲しい、と考える。
そしてオールドメディアと呼ばれているモノに実態があるとしたら、わたしは是非、殺しのジャーナリズムとしての機能を果たして欲しいと心から思う。