【ライブレポ】ずっと真夜中でいいのに - 本格中華喫茶・愛のペガサス ~羅武の香辛龍('24/5/5) - ずとまよとは何か?
先日の2024年5月5日(日曜・晴天)、前日との2daysと合わせて自身最大規模となる、特定の形態をとらず活動を行っている今大注目のバンド・ユニット、
「ずっと真夜中でいいのに。(通称「ずとまよ」)」
のKアリーナ横浜で開催された「本格中華喫茶・愛のペガサス ~羅武の香辛龍~」ライブに参加してきました!
なので、(もうネタバレいいみたいなので)ライブレポートというか感想のようなモノを書いてみたいと思います!
まず、私がどの程度のリスナー、もとい「ファン(通称「ずとまろ」)」であるかを簡単に書きたいと思います。
(その方が本題の「ライブレポ」と、その後の考察のご理解が深まると思うのですが、本題のライブレポの「★」まで読み飛ばしていただいて大丈夫です!)
●●【私のずとまろ歴※読み飛ばしOK※】●●
私がずとまよを知ったのは、一般的なエンタメ・音楽リスナーとおそらく同様に、デビュー曲である「秒針を噛む」がYouTubeでバズっていると、何かしらのメディアで見聞きした時です。
その当時、確かに「良い曲だなあ」と思ったものの、ほぼ同時期に音楽シーンに登場した「YOASOBI」や「yama」などと同様視しており、そのブームは一時的なものであると正直にいうと軽視していました。
そうこうしているうちに、予想に反して、YOASOBIの方は、メディアでの露出も増え、飛躍的に人気を集めだし、今や日本を代表するアーティストとなっている、という事は、やはり私の目利きがなっていない証しでしょうか汗(実際、私もいまやYOASOBIそしてyamaの大ファンですが照)
話は脱線しましたが、一方ずとまよの方はというと、ほぼ一切メディアでの露出は無く(NHKは除き)、エンタメの最前線からは消えてしまった(という言い回しは大変失礼ですが便宜上…)ものだと思っていました。
しかしそんなある日、
「ずとまよの埼玉スーパーアリーナでの公演がとてつもなかったらしい!」
という情報をチラホラ見かけるようになりました。
そこで、改めてずとまよの楽曲をYouTubeやSpotifyなどで確認してみたところ、「秒針を噛む」の一発屋どころか、その他の楽曲も(の方が?)いずれも素晴らしく、またMVも独自の世界観で統一されており、いつの間にかその音楽・世界観に没入していました。
そして決定打となったのは、先の埼玉スーパーアリーナ公演の映像作品を買い、鑑賞したことでした。
奇想天外なステージ演出、見たことのない楽器群(扇風機、ブラウン管テレビ、オープンリール)、そして見えそうで見えない作詞作曲&ボーカルにしてずとまよの中心人物の「ACAね」さんのお顔の絶妙なチラリズム笑
私はその映像作品を鑑賞後間もなく、ずとまよのファンクラブに入会しました。
上記のような経緯から、私は特別「古参」というわけでもないですし、そもそも、イロイロな音楽を聴くことが好きですから、熱狂的なずとまろさんたちと比べると、ずとまよの音楽およびコンテンツに触れる絶対的および相対的な時間そして熱量は劣ると思います。
しかしながら、私は他の音楽アーティストのライブにもしばしば行く関係と、音楽業界・産業(ビジネス)に興味があるため、そういった視点で、ずとまよの音楽ビジネスの形態は、新しい世界を開拓していると思っており、そういった意味での方がむしろ?関心が高いです。
以上のような私のずとまよに対する「スタンス」を踏まえつつライブレポ(みたいなモノ)を書いてみたいと思います。
★★【ライブレポ】★★
書いてみたいことがたくさんあるので、先に「どうだった?」
と人から聞かれた場合の私の感想を書いておきます。
『最高!!てかエンタメとしても総合芸術としても日本、いや世界でも最高峰の公演だった(に違いない)』
と私は思いました。
具体的に何が?
①歌唱・演奏者のレベルの超絶的高さ
②即興に耐えうる超高度なアンサンブル
③コンセプチュアルな楽曲アレンジ
④ステージ映像を駆使した観客の「あおり」⑤観客はただ鑑賞するだけではなく「演奏隊」として「ずとまよの一員」として参加出来る
⑥「ポップス」(≒エンタメ)と「シュール」(≒アート)を絶妙な調合で融和することに成功している
以上のようなことがあると感じました。
順に、なるべく簡単に触れていきましょう(各論はまた別で…汗)。
①について、これはデビュー時から変わらない点なのですが、ずとまよとは作詞作曲・ボーカルのACAねさんを中心とした固定のメンバーを持たないバンド(もしくはユニットまたはプロジェクト)です。
その流動性を活かし、超絶的なテクニックおよび表現力を誇る演奏者たちが都度集結しています。
私はインスト(歌無し)の音楽(特にジャズ)をよく聴くので、ボーカルの存在は純粋に音楽的な意味で言ってしまえば、他の演奏者たちと等価の存在だと思っていますし、歌詞も内容はぶっちゃけどうでもよくて、「どう音楽(音)として機能しているか?」という方に関心があります。
ただ、歌有りの曲では(特にポップス)絶対的にボーカルにスポットが当たる傾向が顕著であるため、仮に超絶的演奏者がライブに参加しても、その超絶的テクニック・表現力を分かりやすい形でフルに活かせる場面というのは、主役ではない以上、あまり、いやほとんどありません。それは良い意味でも悪い意味でも。
しかしながら、ずとまよのライブでは、海千山千の超絶的楽器演奏隊たちが大暴れします笑。ACAねさんの歌声を聴かせたいなら御法度な行為ですし、実際、ACAねさんの歌声が楽器アンサンブルに押されてしまう場面も…。しかし、ACAねさんの繊細でいて美しい高音の歌声とは裏腹に、ACAねさんはかなりの「シャウター(=シャウトする人)」です。レッド・ツェッペリンの若き頃のロバート・プラントもビックリです笑
この超絶的楽器演奏隊とACAねさんの、協調とも競争とも言える音楽は、そこいらのポップスアーティストでは味わうことは出来ないと言えるでしょう!
②について、ある程度の打ち合わせが有るにしても無いにしても、演出として観客に「メニュー」を選ばせて即興的なACAねさんの指示(≒シナリオ)により奏でられる、「即興演奏」(と寸劇笑)は、即興演奏が目玉のジャズを愛聴する者として、ジャズ的スリルがあり、とてもエモいです。
ジャズを聴かれるか知識のある方ならご理解頂けると思うのですが、でたらめに演奏することと即興演奏をすることでは、全く意味が違います。前者は素人が「自分たちが楽しければ良い」モノですが後者はプロとして「聴衆を楽しませなければならない」という責務があります。そしてその後者は、無論、非常に難しいことです。ジャズ奏者たちが尊敬を集める理由はそこにあります。
このような意味で、①にも通じることですが、ACAねさん含めた演奏者間は、まるでテレパシーのようにお互いに通信し合いながら、文字通り魔法のような素晴らしい音楽を奏でていることは、実は驚愕に値するパフォーマンスと言えるでしょう!
③について、私は楽器収集も趣味で(まともな演奏は出来ないのですが…)家に、イロイロな楽器(※いずれも安物かジャンク品)をコレクションしています。
今回のずとまよ公演の「コンセプト」は「本格中華」ということで、開演して最初の一音は中国地方の伝統楽器である「二胡(胡弓)」のソロ演奏でした。
その二胡は私もコレクションしていて、妻が時々練習しているのですが(私は全く演奏出来ない…)、
「正に本格中華!」
という音がします笑
詳しくは触れませんが、これは中国近辺の大陸に共通する特徴であり、西の西洋の大陸の楽器にはない(ちなみに日本は中国近辺に近いのになぜかその特徴を持った楽器は少ない独自路線)特徴によるものと思います。
このオープニングを聴いて
「これはスゴいことになるぞ…!」
と確信し、実際「スゴいこと」になりました笑
また、これは事前に情報があったのか未確認ですが、
本格中華→ス"パ"イシー→ス"ペ"イシー
という流れのコンセプトもあり、そのスペイシーなサウンドも今までのずとまよにはあまりなかったうえに極上の無重力感があり、
「心ウキウキ・胸がワクワク」
な体験でした!
④について、これはずとまよのライブの売りであり、ありそうで無かった(アイドルの公演にはあるのかな?)、
「ステージスクリーンからの「専用しゃもじ(およびライト)」の観客への振り付けの指示」があり、何千何万という観客が一体となって、同じ振り(具体的にはしゃもじ振ったり叩いたり逆に叩かないように)をすることを可能としています。
私はこういった全体主義的な行動は個人的に好まないのですが、薄暗い閉鎖された空間・時間に何千・何万という人々が、正に一体・一心となっている光景は、しゃもじと共にマストアイテムといえるしゃもじ取り付け用ライトの眩い光と相まって、美しいと言わずにはおれないでしょう。
と偉そうに言っている私自身、小さくではありますが、ちゃんと指示に従ってます汗(やはりその方が楽しいですから恥)
今回、目新しかったのは、
「唄う」
という指示があったことです。
私は音痴なので歌いませんでしたが、会場は観客の歌声で溢れました。
しゃもじ叩きでもやるのですが、「音小さめ・大きめ」のACAねさんの指示(とそのあとちゃんとほめてくれる)が「唄う」にもあり、とても微笑ましい演出で、今後も定番になることでしょう!
⑤について、こちらも④と同様にずとまよの売りなのですが、観客はただの観客なのではなく「しゃもじ演奏隊」と呼称される、文字通りしゃもじを振ったり叩いたりして「ライブ演出・音楽に参加できる演奏隊」なのです。
従って、音のミキシングこそあれ、映像作品にもちゃんとしゃもじの音が入っています。
そういった意味で、ずとまよのライブに参加した観客は誇張無しに、
「ずっと真夜中でいいのに。のメンバーの一員」
になれるのです。
これは本当に素晴らしいことです。
「呼吸」しているだけで害な存在である、と思っている私でさえ、ずとまよの素晴らしい音楽・世界の一員になれるのです!
「もうちょっと「呼吸」してもいいよね…」
と、少しですが、しかしとても「重い」少しの赦しを、ずとまよは私(たち)に与えてくれるのです!
⑥について、まず、ずとまよというACAねさんを中心としたチーム(プロジェクト)の行動原理、つまり選択肢を迫られた際に、何を軸にしてその選択をしているのかというと、
「面白いかどうか?」
さらに厳密に言えば
「自分たち自身が面白いと思えるかどうか?」
という価値観が根元にある、という旨をずとまよのチームに参加した、ある凄腕のベーシストさんが自身のYouTubeチャンネルで発言していました(別に隠すわけではないですがステマみたいになるのもアレなのでお名前は伏せます…)。
つまり、ベクトルが我々観客へではなく、あくまでもチーム内の内側に向いている、つまり「客に媚びていない」のです。
その証拠というか、会場の雰囲気として、具体的な演出の内容は書きませんが、観客の頭の上に「?」が浮かんでいることが、毎公演、度々あります笑。もちろん私自身も「?」です。
ある意味、そういった演出は、いわゆる「シュール」≒「芸術的」≒「非大衆的(非ポップス)」ともとれるでしょう。
しかしながら、我々ずとまろは、そういったシュールな演出に愛想をつかしたり、ガッカリしたりはせず、むしろ、
「分からないことを楽しんでいる」
ように見受けられますし、実際、私もそうです。
この系図は、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン(通称「エヴァ」)」に似ているような気がします。
エヴァも、私は観ていて訳がわかりません。それでも楽しむことが出来ます。しかもメチャクチャに笑。
そしてエヴァは国民的アニメとして日本のみならず、日本を代表するアニメとして世界に認められています。
私はその理由は、先に書いたように
「「ポップス」(≒エンタメ)と「シュール」(≒アート)を絶妙な調合で融和することに成功している」
ためだと考えていて、話を元に戻すと、ずとまよにも同様なことが言えると思っています。
今回のアリーナ公演では、その傾向がより「強火」になっていると感じました。
つまり、彼女たちは、シュールで分かりやすくウケないという事実を反省するでもなく改善するでもなく、むしろ確信をもって「強」くしているということを、今回の公演で観て確信しました。
■■【まとめ+α】■■
上記のような理由から、私は先に書いた結論の通り、
『総合芸術としてもエンタメとしても日本、いや世界でも最高峰の公演だった』
と思いました。
ここで+αとして、「ずとまよの音楽性」について、さらに「ずとまよとは何なのか?」について考えてみて終わりにしたいと思います。
まず、「ずとまよの音楽性(ジャンル)」はWikipediaなどで確認すると「J-POP、ロック、ジャズ」と記載されていますが、私の認識ではこの考えは、ずとまよの音楽性の根っこを押さえていないと思っています。
そもそも、(J-)POPという音楽ジャンルは、特定の音楽ジャンルを指す名称ではなく、言ってしまえば「POPであること」つまり「分かりやすくかつ楽しいないしは悲しい」という指向のもと、「音楽ジャンルのごった煮」つまり特定の音楽ジャンルに属さない、というか全音楽ジャンルを含む音楽形態を指します。
そういった意味で、ずとまよの音楽性は「(J-)POP」であることは間違いありません。しかし、そういったPOPの中でも音楽ジャンル的傾向はあります。そういった意味で、Wikiの記載通り「ロック」「ジャズ」であることも正しいと言えるでしょう。
しかし、ずとまよの音楽的指向として、決定的なはず(と私は思う)なのに、意外に指摘されていない点があります。
それは、
「ずとまよの音楽的根元は「ファンク」にある」
ということです。
これを語るには、とてつもなく長くなってしまう気がするので、ご要望があれば(無くても汗?)、別途、書いてみたいなと思います。
しかし、これだけでは「何のこっちゃ??」と思うので、とりあえず
●ジェームス・ブラウン
●スライ&ファミリー・ストーン
あたりの、アッパー系の曲を聴いてみてください。
恐らく、これだけでも、私の認識に同意してくださる方もいらっしゃるだろうと思っています。
あ、あとずとまよはバーチャルYouTuber、ラッパーの「Mori Calliope」さんとのコラボ曲もありますが、ACAねさん自身、ラップを行うラッパーでもあることも、ラップ(ヒップホップ)の源流が「ファンク」にあるという事実からも、ずとまよが「ファンク」を根元に持つことの証左であると思います。
最後に、「ずとまよとは何なのか?」という点について、私の認識を述べさせていただけるのであれば、
『「ずとまよ」とは「アミューズメントパーク」である』
と言いたいと思います。
これも詳細を書き出すと長くなってしまう気がするので、箇条書きで、私がそのように思う理由の要約だけ、以下に記載したいと思います。
●常軌を逸するほど奇想天外で楽しい豪華ステージおよび演出
●コンセプト・ストーリー性のあるステージ演出および楽曲アレンジ
●良くも悪くも曲(アトラクション)の変化はそれほど無い
●それでもリピートしたくなる中毒性
●グッズの充実とクオリティの高さ
●ACAねさんというカリスマの存在(ディズニーランドでいうところの「ボクらのクラスのリーダー」ミッキーマウス)
●ゆえのグッズ着用のみならず「コスプレ」的な格好をしている人の多さ(≒非日常感)
●会場で観客が振り付け(しゃもじ演奏)などで一体になれる(≒ディズニーランドのショー)
●結果、ライブ超絶楽しい笑
どうでしょう?ずとまよのアミューズメントパークとの類似点が多いことにお気付きになられたでしょうか?
こういったアプローチは、趣味趣向が多様化し、音楽の持つあらゆる意味での「力」が弱まり、さらに音楽サブスクの普及によりフィジカルパッケージが売れない、という音楽業界の状況の中、最前線、つまりモデルケースと成り得る革新的な戦略だと思っています。
そういった意味においても、今後のずとまよの動向に、我々音楽好きは注視しなくてはならないでしょう。
でも、ヤッパリ新しい曲、さらにいうとフルアルバム聴きたいなあ…。
本公演のMCでもACAねさんが匂わしていましたが、新しい曲作りに取り組まれるそうですよ!
何人、要チェック♪♪♪
ここまでお読みいただきましてありがとうございます!
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よろしくお願いいたします(._.)オジギ