不器用な痛風。
一つの夢がかなった時に、僕は痛風だった。
右足、親指に痛みを感じてる。
痛風にも慣れたもので、昨日の激痛のピークを過ぎたから、痛み止めをしっかりと飲んでいたら収まるだろうと、特に動揺もしていない。
個人的な夢、目標が叶った時に、それをしっかりと誇れるような自分にならないとなと思っていた。
例えば、なにかを成し遂げたときに、
「いや、まだ通過点だから」
と、自分に厳しくしてしまう。
そう思わないと不安だという思考。
満足したら次へは進めないという考え方。
痛風とストレスは密接な関係がある。
緊張状態が続くと、腎臓から尿酸が排出されにくくなる。
もう、限界だから、助けてくれと身体が悲鳴を上げる。
食べ物が原因だとか、不摂生だとか聞くけれど、原因のほとんどは、生まれつきの体質だと言われている。
お酒を飲まなくても、食べ過ぎでなくても、身体に無理を強いていると「もう限界」と、骨折しているような激痛が走る。
ささやかな目標だった。
毎朝、六時半に起きて、日記を書くこと。それを100日続ける。
いつか習慣になって、何かしら考え方に変化が訪れないかと期待していた。日記を書くことによる有効性という記事に感化されたからだった。
10日程で、苦しくなってきた。何も変わっていない気がする。でも、まだ10日だからと。50日過ぎても同じだった。
何も変わっていない気がする。
もっと寝ていたかったし、特に書き留めたいこともなかった。
そこに「目標」を加えること。少し「変化」を意識すること。たかだか日記に、どうしたら「自分の心が動くのか」考え続けた。
87日過ぎた頃は止めることばかり考えていた。
あと少ししたら100日。そこに辿りついたら、何かしら変化があるのだろうか? 自分なりに試しているつもりなのだけれど、一ミリも変化している気がしない。
そして、とうとう100日目。
愕然とした。何も得ている気がしない。
ただ、100日、それを続けたということを「自分が知っている」というだけのことだった。
そして、痛風。
「……」
僕は、激痛の足を引きずりながら、トイレから戻り暗い部屋の中で少し泣いた。