最初の女優は同級生のメガネ美人だった
高校には映画研究部(映研)というものがあった。
3年生の先輩たちは「青春の影」という8ミリ映画を撮った。高校生活に漠然と悩む男子を描いているのだが、それがどうしたという内容だった。でも見慣れた鳥栖駅のプラットフォームから旅立つ主人公にチューリップの名曲「青春の影」が流れると、ちょっとじんときた。
2年生の先輩は三人だけで影が薄かった。大石という男子先輩は大人しくて成績優秀だったが、バイク免許の無断取得で停学をくらったあたりから、みるみるうちにダメになっていった。その変化に興味を持った私は「こんど僕が撮る映画の主人公をやりませんか」と誘うと、のらりくらりと返事を濁すので、大石のくせにとムカついた。
ボーイ・ミーツ・ガールの映画を撮りたかった。
それにはキュートなヒロインが必要だ。同学年の女子部員はまだおらず、2年生の女子先輩はキュート不足、スカウトするしかない。すると部員のA君が猛烈に推したのが前間という同級生だった。初めて聞く名前だ。A君が「メガネをかけた浅丘ルリ子」と形容したのには呆れた。試しに6組へ見に行くと、その女子はクールな社長秘書または謎の多い正体不明の女という感じだった。少なくともキュートではない。しかしA君の懇願に負けて、ダメもとで声をかけてみた。「二、三日考えさせて」のもったいぶった返事に、正体不明のくせにとムカついた。
意外にも前間は出演をOKした。A君は歓喜した。彼女を部室に呼んで打ち合わせや撮影準備をやりだすと、さぼっていた部員が顔を出し始め活気づいた。大石先輩も「俺、出てもよかよー」などと言い出して、後出しジャンケンみたいな真似しやがってとムカついた。
やがて前間に対する印象が変わってきた。考えてみればノーギャラで自分の映画に出てくれるなんて有難いことだ。クールなのは落ち着いて物静かということだ。正体不明なのは安っぽいミーハーではないということだ。顔をよく見れば、色白の細面で神秘的な瞳をしている。観音菩薩のように見えてきた。キュートではないけど美人だと気づいた。前間に演技指導をする私を羨ましく思ったA君が「お前ばっかしズルかー、俺にもやらせりー」と文句を言ってきたから、「これは監督に仕事やけん」と突っぱねると、ひどく恨まれたのでムカついた。
当時、8ミリフィルム(一巻で180秒)は現像代込みで1200円くらいした。もちろん撮り直しはできないので、撮影をミスったり演技がNGだったりすると、泣くに泣けないことになる。部費の予算なんてすぐに使い切り自己資金でやるから、そりゃあ鬼の形相にもなった。撮影現場では仲間を怒鳴り散らし、先輩を呼び捨てにしてこき使い、学校や天候や交通事情にも悪態をつくので、誰からもムカつかれた。
主人公がヒロインに一目惚れした後に自転車から転げ落ちるという演出が問題になった。口では簡単に言うけど、実際に転げ落ちたら確実に怪我すると大石先輩が反対した。では道路にマットを敷いて、カットとアングルでごまかして撮ると私が提案すると、マットなんてどう調達するんだよと言ってきた。体育館から失敬して持ってくるのは難儀だなと思い、じゃあ段ボールでやろうと再提案すると、段ボールでも怪我すると言う。先輩なら先輩らしく怪我してでもやれよとキレかけたその時、前間が「段ボールならうちに沢山あるわよ」と口を挟んできた。
部員全員で前間の自宅へ向かった。もちろん初めてだ。国道への道沿いに「前間オート」という大きな看板があった。自動車修理や中古車販売を手がけていた。お母さんが出てきて「娘がお世話になっています。いるだけ持って行ってください」と親切だった。整備士が段ボール置き場を案内しながら、前間のことを「お嬢さん」と呼んでいたのが、今でも耳に残っている。
積み重ねた段ボールを敷いてリハをやっているうちに、プロレス好きの部員たちが辛抱たまらず段ボール上に乱入してきた。アックス・ボンバー、ジャンピング・ニーパッド、ウエスタン・ラリアットを嬉々として互いにぶちかます。前間がクスクス微笑んでいる。そうなると火に油だ。ますます張り切る連中を横目に私は「やれやれ」と肩をすくめる。
厳冬の放課後の旧長崎街道で詰襟とセーラ服の高校生がそんなことをやっている日々だった。
でも、それはそう長く続かなかった。前間が役を降りたのだ。彼氏から映画に出るなと言われたからだ。申し訳なさそうに謝る前間を責める気持ちにはなれなかった。ただ彼氏にはムカついた、ではなく火だるまにしたかった。フィルムの10分ぐらいが無駄になった。誰もが制作中止と思っただろう。でも私はあらたにヒロインを探し始めた・・・。
四十も半ばを過ぎた頃、息子の友だちのお母さんが前間の従妹だと分かった。聞くところによれば、彼女は精神科病院の事務で働き、まだ独身ということだった。従妹は「若い頃はすごい美人だったし、今だって綺麗なのに、なぜか縁がなかったのよね」と首をかしげた。私は尋ねた。今でも前間オートはあるのかと。会社はだいぶ前になくなったそうだ。
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