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映像翻訳者になって、そして辞めるまでの10年間を綴る(4)

こんにちは。
なんだか、ムダに長くなってきたこのシリーズ。
振り返ると、ほんといろいろあったな…という感じです。失敗だらけのような気もしますが、それもまた人生か…。

さて、こちらの続きを書いていきたいと思います。


派遣の仕事を辞める(38歳)

留学しようと思っていたスクールが次の留学生向けに奨学金を支給してくれることを知り、完全に心が決まりました。

4月〜7月のどこかで渡米するつもりだったので、派遣契約を3月半ばで終了とすることを伝えました。

が、ここから暗雲が立ち込めます。
このあたりでもう少し立ち止まって再考していたら、今頃はまた違った人生だったのかなぁ。

今の人生がダメわけでは決してないし、周りの人たちにはとても感謝しています。
だけど、帰国後に自分の感情を整理したり、生活を立て直していく過程が死ぬほどキツかったので。っていうか、現在進行形でまあまあキツイので。

まあ、ぜんぶ自己責任やけども…。

留学準備(39歳)

お金がギリギリだったので、奨学金がちゃんと出ることが決まったら渡米するつもりでした。
すでにそのスクールで学び、翻訳者として仕事を受注している身なので、よほどのことがない限り奨学金はもらえるだろうと思ってましたし。
さっそく奨学生に申し込み、ペーパー試験と面接を受けることに。

モヤモヤ①

試験と面接を問題なく終えたところまではよかったのです。

面接後、待てど暮らせど何の連絡もない。

友人に送ったLINEを読み返してみると、面接を受けてからたっぷり2週間は音沙汰なしでした。

面接で、「もしも奨学金が出なくても留学は希望されますか?」との質問があり、もちろん「ハイ」と答えました。

だとしてもちょっと困る。スケジュールが立てられん。仕事は3月末に辞めるって言ったし。

というわけで、自分から問い合わせました。
返事がなかったので、2回問い合わせました。

奨学金という名の、数十万の割引があるか否かって、私にとっては超一大事だったので。
だってこのド円安、働けないビザですよ?

そして数日後、「志望者数が多かったので選考に時間をいただいてました、ごめんなさい。合格ですよ!おめでとうございます!」みたいな返事をもらう。

まったく同じタイミングで留学してきたのは私を入れて4人でしたが、ほんとに志願者数、多かったんですかね…?
単に連絡を忘れてただけでは?

ようやく奨学生に受かったことが確定し、ほっと胸を撫で下ろすも、心にモヤモヤは残ったままでした。

モヤモヤ②

奨学生合格の連絡のついで(!)に、「渡米時期を4月か7月で迷われていましたよね。どっちにされますか?」と聞かれました。

もう3月になろうとしてるのに4月に渡米なんて間に合うわけないやろ、マジで何言ってんねん、とさすがにキレそうに。

だが…
今ここで怒ってトラブルになっても、結局あとで困るのは自分だと思いグッとこらえ、渡米は7月にしますと冷静に伝える私。

必要な手続きや書類についてまた連絡します、と言われました。

……ここからしばらく、まったく何の連絡もありませんでした。というわけで、また自分から問い合わせました。どうなってますかね、と。

いや、もうね…。

いやまぁでも、私も鬼ではないので(たぶん)。
結果的にビサ発行に関してはものすごくいろいろとサポートしてもらったので、これについてはもうこれ以上は書きません。
すでにめっちゃ書いたけど。

モヤモヤ③

留学前のカウンセリングにて、「私はもう英日の翻訳者なので、英日映像翻訳のクラスは取らずに、その分、別のクラスを取りたいです」と伝えていて、それで話が進んでいました。

通訳スキルを身に着けたかったし、そもそも英日に関してはすでにお金を払って講座を受けてるわけだし、またお金をかけて留学するんだから別のことを学びたいと思ったわけです。

だけど、渡米直前になって「コロナの影響で受講人数を制限しているので、開講状況によっては英日のクラスをもう1回取ってもらうしかないかも」という流れになったのです。

(ややこしいんでだいぶ端折ってます)

それはちょっと話が違うんじゃないの…とぼんやり思った私。ここでも、いま揉めて渡米できなくなったらイヤだから、あとで考えよう…と問題を先送りにしたわけですね。

渡米してから若干ゴタゴタしましたが、現地スタッフさんの尽力もあって、結果的には実務翻訳のクラスを開講してもらえることになりました。これに関しては対応いただけてありがたいな、と本心から思いました。思いましたが、もしも尽力してくれた現地スタッフさんがいなかったら、私はアメリカに行ってまで英日の映像翻訳のクラスを重複して取っていたわけです。

モヤモヤ④

これはスクールではなく、ホームステイのエージェントに対してです。
最初からティーンエイジャーや小さな子どもがいないところを希望していたのに、フタを開けてみるとティーンエイジャーが3人もいるお宅でした…。

なんで?100歩ゆずって1人では?

このときも、ヘタに文句を言って「じゃあ自分で探せ!」とか言われても困るのでおとなしく受け入れましたが、結局1カ月くらいでステイ先を変えるハメに。

これらのモヤモヤを抱えたまま、私は渡米したわけです。
「人生は間違った方向には決して進み続けられないようにできている。間違っているほうへ進んでいるときは、トラブルが頻発して、スムーズに進まないことが多い」って、何回か聞いたり読んだりしたことがあって。

このときの私、まさにこれじゃないか?と今ならわかるんですが、とにかく一度はアメリカに住んでみたかったんです。

だが、心のどこかで、「でも、なんとなーく、カリフォルニアは自分に合わない気がするんだよな」と思っていたのも事実…。
そしてその予感もピタリと当たったというわけですね…。

渡米直前まで、短期の派遣で働く(39歳)

渡米時期がなかなか決まらなかったこともあり、3カ月間、無職状態に。
これはヤバイと慌てて期間限定の派遣を探しました。

てか、ここまでしないとダメなくらいギリギリな貯金の状態で渡米したことが、私の犯した大きなミス(のひとつ)ですね。
ええ、それはよくわかっています。

さて、慌てて見つけたのは、わりと大きな商社の人事部。新卒採用の時期だけのアシスタントを募集していたんですね。

ここ、とにかく心根の優しい人がめちゃくちゃ多くて本当にいいところでした。
渡米する際、戻ってきていいんやで!いつでも雇うから!と言ってくださいました。こういうお言葉は、たとえ社交辞令であってもうれしいものですよね。

渡米に向けてフル回転で準備を進めていたこのころ。
モヤモヤすることはあれど、とにかく渡米できるんだ!夢にまで見たアメリカ!!とわくわくしていたのは本当です。

会いたい人たちに会い、実家に戻り、たまに翻訳の仕事も入れて、バタバタと準備をしつつ渡米ギリギリまで働き…
いやぁ、とても充実していました。

今思うと、ここがピークだったんでは(爆)

次は、いよいよ渡米です。

また近いうちに書きます!
今日もお読みくださりありがとうございました。