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ボードゲーマーに向けたDCG『マーベル・スナップ』の紹介

限定合理性という概念がある。
人間の認識能力には限界があるため、合理性は限定的にしか働かない――すなわち人間は神と比べたらアホなので、完全に合理的にはなれないのだ。


バックギャモンにダブリングキューブがある。

バックギャモンはすごろくの一種と言ってよい。ダイスを振ってコマを進め、先にすべてのコマをゴールさせた側の勝利となる。技術の介在する余地は多分にあるが、趨勢はダイス目に大きく左右されるため、運の要素も大きい。

バックギャモンの競技性はダブリングキューブによって支えられている。
プレイヤーは自分の手番開始時、ダブルを宣言することができる。ダブルとは「このラウンドの勝利点を、1点ではなく2点にしませんか?」という提案である。相手方はこれを受けてもよいし、断ってもよい。ダブルを受けた場合、勝利点は2点となりラウンドが続行する。断った場合、ただちにラウンドは終了し、ダブルを宣言した側に1点が入る。
ダブリングキューブには「2」「4」「8」「16」「32」「64」の面がある。これは現在のラウンドの勝利点を表している。すなわちダブルは連続で行うことが可能であり、そのたびに勝利点が倍々になっていく。
ここで重要となるのは、2回目以降のダブルを行う権利は、直前にダブル宣言を受けた側にしかないということだ。一方が続けてダブルを行うことはできない。
これがダブリングキューブに関するルールのすべてだ。ここからどのような戦術が導かれるだろうか?

まず、初回のダブルを行うのは盤面が有利に傾いているプレイヤーだ。負けている側が勝利点を倍にする理由はない。これは勝てるぞ思った場合に、勝利点のつり上げが行われる。では、盤面がわずかにでも有利になったその瞬間にダブルをするべきか? 意外に思われるかもしれないが、そうすべきではない。
ダブルを行った瞬間に失うものがある。次にダブルを行う権利だ。ダブルとはすなわち眼前に銃口をちらつかせた脅迫である。
「掛け金を2倍にしろ。さもなくば手持ちの金を置いていけ」
相手がこの理不尽な要求を飲むと、脅迫者はなぜか拳銃を手渡してしまう。現実世界ではありえないことだが、ゲームの中では成立する。
つまりダブルは、自分の利益を最大化する行動であるとともに、相手に拳銃を渡すというリスクを孕んでいる。

次に、ダブルを宣言された側の立場になって考えてみる。盤面は相手に有利であり、勝利点を倍にするか、ここで手打ちとするかの選択を迫られた。どうすべきか?
正解は、相手が大きく有利ならラウンドの終了を選ぶべきであり、少しの有利ならラウンドを続行すべきなのである。相手に大きく傾いたゲームは負ける可能性が高いため、わざわざ勝利点を倍にして傷を深くする必要はない。一方で、先ほどの拳銃の理屈にのっとり、わずかに有利な程度ならラウンドを続行すべきだ。逆転の可能性は充分にある。攻勢に転じたら「さっきはよくも脅してくれたな。次はお前が震える番だ」と見返してやろう。

この駆け引きが、盤面の有利不利が逆転するたびに起こる。ダブルというルールはバックギャモンのオリジナルからあるのではなく、後人が付け加えたヴァリアントだ。これがもたらしたメリットは大きくふたつ。
ひとつは消化試合の早期決着だ。大勢が決しているラウンドを続けても、特に負けている側はおもしろくない。だったらさっさとラウンドを切り上げるべきなのだ。
加えて、ゲームにさらなる複雑さをもたらした。ダブリングキューブのないバックギャモンは、少し難しいサイコロの振り合いだ。勝利点は本来、ゲームそれ自体よりも上のレイヤーにある。ダブリングキューブという紐帯により、盤面の優劣判定と勝利点からなる複雑なメタゲームが完成した。


2022年、『マーベル・スナップ』というデジタルカードゲーム(DCG)がリリースされた。マーベル・シネマティック・ユニバースのIPを用いた、スマホ・PC用のカードゲームだ。
本作のゲームデザインは、DCGの礎を築いた『ハースストーン』のベン・ブロード。
システムの骨子は『バトルライン』に近い。3つの戦場にカードを並べ、その戦力値を競う。ゲーム終了時、うち2つの戦場を勝ち取っていたプレイヤーの勝利となる。
本作の特異性を挙げるときりがない。1ゲームは3分、6ターンで終了する。デッキの枚数はたったの12枚。カードは裏向き同時公開。どれもDCGの常識を覆すものばかりだ。しかしベン・ブロードという天才の真髄は、DCGにダブルを取り入れたところにある。

多くのDCGにはランク戦モードがある。ゲームに勝利するとランクポイントを獲得し、負けると失う。ポイントを稼いて自分のランクを上げることが、ゲームを遊ぶモチベーションとなる。ポイントの増減はゲームから下される評価であり、ここにプレイヤーの意思が介在する余地はなかった。『マーベル・スナップ』が生まれるまでは。

本作では、手番の開始時にスナップ宣言を行うことができる。スナップとはまさしくバックギャモンにおけるダブルだ。スナップ宣言をすると、相手に「増減するランクポイントを2倍にする」か「撤退」かを迫ることができる。撤退するとゲームはただちに終了し、ランクポイントが1点ずつ増減する。スナップを受け入れたら、ゲーム終了時に勝者は2点を得て、敗者は2点を失うこととなる。
両プレイヤーはスナップする権利を1回ずつ有しており、両者がスナップした場合は4点が増減する。
加えてゲームを6ターン目終了時まで行った場合、増減するランクポイントはさらに倍となる(プレイヤーは任意の時点で撤退を宣言できる)。これにより、増減するランクポイントは最大で8点となる。

本作における「スナップを行うべきか否か」「撤退すべきか否か」の判断基準は、バックギャモンとまったく同じだ。大きく負けている場面でスナップ宣言されたら潔く撤退し、損失を最小に抑えるべきなのだ。

なんて素晴らしいシステムなのだ。万感の思いを抱き、私は『マーベル・スナップ』を遊び始めた。サンキュー、ベン・ブロード。最高のゲームをありがとう。


本記事はここで読み終えてもいい。
以下は、神たるベン・ブロードが人類の認知機能を信じすぎたという悲劇である。

私は『マーベル・スナップ』を5時間ほどプレイした。1ゲーム3分で終わるため、100ゲームは遊んだことだろう。その中で、こちらが圧倒的に優勢という場面は何度もあった。そのたびに私はスナップ宣言をした。ここで終わりにして、お互い次のゲームに行こうぜ。が、撤退が選ばれることはほとんどなかった。スナップ――ゲーム続行。スナップ――続行。スナップ――続行。おかしい。なぜゲームを続けるんだ。私はポイントがたくさんもらえてありがたいが、君はそれでいいのか。頼むから撤退を選んでくれ。私はスナップと撤退の駆け引きを楽しみたいのだ。全ツッパしか選択肢がないのなら、そこに駆け引きは存在しない。私は当惑しっぱなしだった。

しばらくすると違和感に気がつく。私も撤退を選んだことがない。相手からのスナップ宣言――まあ、これくらいなら逆転できるだろ、続行。相手からのスナップ宣言――いやでもここで降りるくらいなら玉砕してやらあ、続行。相手からのスナップ宣言――ちゃんと計算してないけどワンチャンあるだろ、続行。

人類には感情がある。DCGで賭けているのはランクポイントだけではない、プライドもなのだ。撤退とは最も屈辱的な選択だ。そうやすやすと受け入れられはしない。
ダブルという機構は、人の合理性を前提として成り立っている。DCGにおいて、人は効率的なランク上げよりも感情を優先してしまうのだ。ダブルをDCGに導入するという試みは、理論上は上手くいくが、運用上は難しいものがある。ソーリー、ベン・ブロード。私たちはまだまだ不完全だったよ。

『マーベル・スナップ』は間違いなく傑作である。スナップと撤退の駆け引きが今よりも上手く機能する術を、ベン・ブロードは必ず思いつく。その日まで、我々は理性的にゲームでもしながら待つとしよう。

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