72冊目【本のはなし】最高のエンタメに出会った話。/朝活50日目
「ディズニー」との思い出。
あなたはありますか?
ココアと火傷。
それが、最高のエンタメとの出会いだ。
埼玉県民の日、11月14日。
はじめてディズニーランドへ行った日。埼玉から訪れているということは、小学校2年生よりも下の年齢。小学校2年が終わった年、埼玉から千葉県に引っ越しをしているから。
初めての記憶は、凍えるほどの寒さの中で飲んだココア。口に含んだ瞬間、目から火花が散る程に熱かった。そして、初めて舌を火傷した。
横では、母に抱かれた弟が、熱を出していたらしい。側から見れば散々な思い出かもしれないが、ディズニーランドへ行った優越感には変わらない。
千葉に引っ越しをして、6月15日の千葉県民の日。だいたいディズニーランドで過ごした。我が家は、遊園地といえば、ディズニーランドだ。
極度の高所恐怖症の父と、アトラクションと呼ばれる乗り物が嫌いな母。私も乗り物酔いしやすい体質だし、弟も行きたがることもなかった。
だから、我が家にとってちょうどいい遊園地なのだ。絶叫系以外の乗り物も豊富だし、乗らなくても断然楽しめる空間。ドナルドとデイジーが描かれたトロピカルな缶に、フルーツクリームが入ったチョコレート。それがお土産の定番だ。
あとは、クラスの仲のいい子たちへのお土産を購入して帰宅。疲れ顔でも笑顔になれるから家族全員、お気に入りの場所、それがディズニーランドで我が家にとっては、特別なのだ。
お気に入りのから、憧れへ。
特別といえば、我が家はディズニー映画だけはアニメを観て良いことになっていた。
母は、漫画やアニメ、ゲームなど、その当時「バカになる」と言われていたものを誰よりも毛嫌いしていたため、徹底的に排除されていた。
ディズニー映画だけは観て良い。
家庭用ビデオデッキが、各家庭に1台以上があった時代だ。丸字の父の字で、丁寧に映画の作品名が書かれたビデオテープが、棚に収納されていた。
そこにいくつかのディズニー映画があった。
アニメを観れる、という喜びだけが印象に残ってるため、ディズニー映画の何に夢中になったというのは覚えていないが、プリンセスはそこにはいなかったはずだ。
ある年、私の心を揺るがすテレビ番組が放映された。ディズニースタジオの全貌や制作風景を紹介する番組だ。
「美女と野獣」というディズニー映画がある。
町娘のベルが、森深くに住む野獣に囚われの身となるが心を通わせやがて恋に落ちるという話。
その映画の公開記念でのテレビ放送。
制作していたのは、そのベルと野獣がダンスをする有名なシーン。1990年代初頭、家庭にパソコンがあること自体珍しい時代だ。その時すでに、アニメーションがコンピュータグラフィックで制作されることに感動をしたのだ!
しかも動きがスムーズ。ベルのドレスが動きとともに不自然ではなく揺れたり、今まで見たことのない様なカメラワークで画面が動いたり、いちいち感嘆の声をあげたかもしれない。
個々のキャラクターの豊かな表情を作り上げるため、鏡を見ながら数秒単位でデッサンをしていくプロフェッショナルたち。
目の前がチカチカした。
あの、熱いココアを飲んだ時と同じように目から火花が散ったようだった。
ディズニーで働きたい!!
お気に入りから憧れへと変化した瞬間だ。
数年後、私は舞浜にいた。
憧れのままでは、終わらせたくない。
そんな思いが沸々と湧き出ていたものの、18才当時の私は、迷子だった。勉学に関しては、不貞腐れたまま3年間を過ごしたため、言われるがままの短大へ進学。本当に失礼極まりない子どもだったな。
高校では、アルバイトが基本禁止されていたから、進学が決まったと同時にバイトの面接を受けた。それが、東京ディズニーランドだ。
近道だと思ったら…の話は、機会があれば話そう。
嬉々として入ったその世界は、私にとっては、素晴らしい体験となった。もちろんディズニーの世界の前に、接客である。人と人との関わりなので、様々な人と出会い別れ、時に分かり合えないこともあった。他人なのだから仕方あるまい。
総合して、素晴らしかった。
ディズニーランドを運営している会社、オリエンタルランドの当時の社長をお見受けする機会があった。キャストたちをねぎらう「サンクスデー」だったかな?
入り口付近に人だかりがあり、何事かと近づくと主役のミッキーよりも大人気の加賀美さん(副社長のちにオリエンタルランド社長)が中心にいた。その笑顔が柔らかかった。周りのキャストたちも楽しそうだった。
接客業のプロとは、客だけではなく従業員も笑顔にする人なのだと若い私は衝撃を受けた。
短大を卒業後、ディズニーのバイトは辞めた。アルバイトではなく正社員になりたかったからだ。そのまま続けていても、問題はなかったけれど、世間体を気にしていたのだ。
就職浪人をして数ヶ月後、私は舞浜に再び舞い戻る。隣接するイクスピアリの中の店舗で働くこととなったからだ。ディズニーシーがオープンして、ディズニーリゾートと名乗った年だ。
それから、幾度となくゲストとしてディズニーランド、ディズニーシーへ訪れた。別の就職先で実は、ディズニーと薄い繋がりがあることが発覚した。
仕事への意識の根底が、ディズニーにある。
だからだろう、常に視線に入るのだ。
今回の書籍も「ディズニー」だ。
ディズニーが出来上がるまでの企業人たちの奮闘、エンタメ界隈の歴史が読めるこの本こそが、最高のエンタテイメント、ディズニーランドでいうならば、エレクトリカルパレードのようだった。
ちなみに本書に出てくる、高橋さん。知ってるかも…と調べたら、働いてた当時のオリエンタルランド社長だった。あ、あの時、加賀美さんの横で楽しそうにされてた人かも!!
そうだ、そうだ、キャストたちが、社長よりも加賀美さんに群がってたから日本のウォルトディズニーって、友人に言って理解されなかったことを思い出してしまった…。
新装版「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日 (馬場康夫)
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