時代小説『龍馬が月夜に翔んだ』第25話「元力士の応対の仕方」
齊藤一を岬神社に残して、大石鍬次郎隊と藤堂平助、服部武雄は、間隔をおいて一人ずつ反対方向の高瀬川に出てそれを下り、蛸薬師通りを右に曲がり、河原町通りを渡り、裏寺町通りを上がって、近江屋の北側の路地に出た。
大石隊の五名、前列右側の隊士が河原町側に、左側の廣瀬という隊士が近江屋の裏手に回った。後列の二人が勝手口の左右に分かれて、その正面に大石が付いて近江屋の警護を固めた。
大石が通りの向こうにいる齊藤に準備が出来たと合図を送る。それを受けて、斎藤が藤堂と服部に突入の合図を送る。
服部が勝手口を拳で五回ずつ連続的に叩く。それを繰り返して五回目でやっと反応があった。
「どちらさんですか」
「高台寺、伊藤甲子太郎の手下御陵衛士の者です。夜分失礼します。改めさせて下さい」
「今日は、誰もいはりませんけど」
「それならば、なおの事。開けて下さい」
藤吉はこのまま開けないで、顔を見せないと一層怪しまれるので、一尺ほど開けた。
ここには、軽装で色白で品のよさそうな武士が腰をかがめている。とても、打ち入ろうとするようには思えない。しかし無断で、入れる訳にはいかないので一旦閉めて、龍馬に伺いを立てようとした。
閉めようとした。が、閉まらない。
逆にゆっくりと開いていく。服部は、何の抵抗も受けていないように、顔色一つ変えずに開けてゆく。藤吉は腕の筋肉が躍らんばかりに痙攣している。藤吉が必死で閉じようとしているのが、嘘のようにすっと開いた。元相撲取りの藤吉は、横綱に回しを取られた時と同じような脱力感を味わった。それだけ服部は力が強く、力の差があったということだ。
のっそりと服部が土間に入ってきた。背丈は藤吉と同じくらいの偉丈夫。服部の柔らかい物腰とは、裏腹に藤吉が思わずのけぞってしまう程の氣が出ている。続いて藤堂が入る。
「お二人だけですか」
「はい」
藤吉は、支え棒をして、外から開かないようにした。
「見事な刀掛けですな。しかも、太刀が三本、脇差まで預けておられる方もありますぞ」
服部は、わざとらしく大きな声を出した。
藤堂は、藤吉の注意がそちらに行っている隙に、後ろ手でそっと支え棒を外した。
大柄の服部は、踏み台を使わずに、刀掛けの一番奥に太刀を架けた。続いて藤堂が踏み台に乗り、一番手前にある脇差から丁寧に置き換えて一番奥に隙間を作り、自分の太刀を置いた。
「下げ緒を改めさせて頂きます」
藤吉は、二人の脇差の下げ緒がしっかり巻かれていて、すぐに抜けない状態にあるかを確認した。
「失礼しました」
しかし、二人の脇差は下げ緒がぐるぐる巻きにしているにも関わらず、すぐにでも抜けるようになっていた。
これも、永倉新八が考えた「永倉巻き」である。永倉は昔から、思想とか思考には全く関心を示さず、寝ても覚めても剣術、戦術の事ばかりを考えている。実際に、新選組の戦闘の方法は、ほとんど永倉が編み出したものである。この「永倉巻き」も、永倉が考えた。
「永倉巻き」は、下げ緒を三つ折りにして、その中心を柄の上に置き、下で輪になったところに下げ緒の端をくぐらせるだけの簡単なものである。見た目は、しっかり巻いてあって、刀が容易に抜けないように見える。しかし、実際には巻いていないので、刀を抜くと下げ緒が簡単に外れるようになっている。
普段からその様な巻き方はしないが、出動する前には必ず、「永倉巻き」に巻き替える。今では、新選組の全隊士がそのやり方をしている。
「ここで、お待ちしてください」
丸腰の何の因縁もない者を後ろからいきなり斬りつけるはずもないのに、藤吉は背中を見せないように気を遣いながら二階へ上がった。
襖が一度開く音がして、閉まる音が聞こえた。
藤吉の伺いを立てる声が低く響いた。
沈黙が続く。
やがて、物を引きずるような音がして、座敷の中を人が動く気配がした。
中岡慎太郎らは奥の部屋にいるな。
また、襖が開く音がして、閉じる音が聞こえた。
すっと音もなしに、藤吉が姿を見せた。
「どうぞお上がりください」
藤吉は、踊り場に正座して頭を下げた。
つづく