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AIが書いた小説『スカイフック』第16話 宴のあと

住民たちは間近に見るB29の残骸と米兵の遺体が、よっぽど珍しかったのか周りに大勢の人が集まってきた。

巨大なB29の機首の残骸が、恭しくまぐろのカマのように立てかけてあり、ご丁寧にしめ縄まで締めてあるものだから、いつの間にかその前に列ができた。

誰が最初にやって見せたのか知らないが、最初に一礼をして、「国防献金」と書いた樽に、賽銭のように小銭を投げ入れる。

二礼して、二拍手を打つ。

そして、二つの遺体の前に行き、汚い言葉を浴びせて、棒でたたいたり、石を思いっきり投げつけたりする。

それを終えた人々の顔は、晴れやかになっているのだった。

その列の中に、湯浅節子がいた。

残骸の下から助けられた、湯浅家唯一生存者の三歳の女の子である。彼女は、引き取られた先のお婆さんに手を引かれて、やってきた。

健気に前の人の仕草の真似をして恭しく礼をしていた。

そして、遺体の前に無理やり連れてこられると、竹やりを持たされて遺体を突く格好をさせられた。

それは、写真にとられて、翌日の地元の新聞に「親の仇を取ったぞ!」という大見出しをつけられて、一面に掲載された。

新聞にも載り、噂が広まって、遠方から来る人もいて、連日長蛇の列が続いた。

誰もが、一礼して、「国防献金」に小銭を入れて、二礼二拍し、遺体を傷つけて、満足気に帰って行く。

それが、一週間も続いた。

さすがに、遺体の損傷が激しくなり、見るも無残な姿になったので、近所のお寺が引き取り、墓地の近くに穴を掘り埋めた。

それでも、人が絶える気配がなかったので、代わりに一体の藁人形を置いた。

それに、何処から持ち出したのか分からないが、節子が助け出されるきっかけとなった、「ヨへ17」逆さにすると「LIVE」と書かれた白い板を首からぶら下げられた。

藁人形は、何度も取り換えられたが、白い板はずっと同じものを使っていた。

「国防献金」と書かれた四斗樽も最初の頃は、小銭と紙幣で一杯になり、何回か新しいものに取り換えられたが、戦況が激しくなって、名古屋の街が焼け野原になり、やけに見通しが良くなった頃には、誰もお金を入れる人もいなくなり、焼け落ちた家屋の釘や鉄くずを入れるようになった。

中には、焼夷弾の破片なども入っていた。

少なくとも、それは8月15日までは、その状態で置いてあった。

しかし、16日の朝起きてみるとそれは忽然と消えていた。

どうやら、夜の間に軍の関係者が来て、こっそりとどこかへ、持ち去ってしまったらしい。

校庭の取り払った後にできた空間にはすぐにサツマイモの苗が植えられた。

B29の残骸もなくなって、空襲もなくなり、灯火管制も必要もなくなり、住民に安眠が戻ってくるにつれて、それらの出来事は、目覚め前の悪い夢のように忘れ去ろうとしていた。      


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