記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。

石像の宴 花組「ドン・ジュアン」

 やっと御園座にて「ドン・ジュアン」を観劇。生で見た時の感覚を大切にするために、できる限り情報を遮断してきた。それでも2016年の雪組初演版とかなり演出が異なるということは耳にしていた。雪組版は花組の上演が決まる前に1回、決まった後に1回、映像で鑑賞している。雪組版、そして外部での上演版との大きな違いは、演出の生田大和自身が述べている通り、「石」に着目したことだ。石のような冷たい男と呼ばれるドン・ジュアン(永久輝せあ)、石を彫る彫刻家のマリア(星空美咲)、石の亡霊として迫ってくる騎士団長(綺城ひか理)。モリエールの原作には『石像の宴』という別名も付いている。

 突然だが、舞台というのは石彫に似ているところがあると思う。立体の石彫はひと目見ただけでは全体像を捉えることができない。だから色々な方向から見て、その時の「記憶」を繋ぎ合わせることによって頭の中で作品を完成させる。舞台も基本的には客席という固定された場所からではあるが、演者や装置などの立体物を追いながら音楽も加えてそれぞれの「記憶」を合わせる。映像で見る良さもあるが、生の舞台の良さはそういう体験にある。同じ舞台でも人によって、または観劇日によって観点は異なり、時間の流れ方も異なる、立体的な世界だ。

 マリアはまさにその立体的な世界で生きる人物である。御園座の回る盆は、石段の形の大きな装置をぐるぐると回し、様々な面を見せる。一方で、マリアの工房の中央に置かれた彫り出される前の石は立方体。その周りに釣られた石彫たちも四角い枠に収められている。なぜ徹底して「四角い」のか。中央の立方体は、マリアが制作を依頼された騎士団長の像のための素材だが、マリアは「石の声が聞こえない」と言ってその石から騎士団長を彫り出すことを断念する。その代わりに、ドン・ジュアンとの愛の形として薔薇を彫り出す。ドン・ジュアンは石のように冷たい男、行動は大胆でも心は起伏のない平らな男である。それを表しているのが無機質な立方体の石なのであれば、それを壊し、より立体的に彫り出したのがマリアということになる。

 しかし、マリアはドン・ジュアンと出会った頃は彫刻に打ち込んでいて、手に包帯を巻いていたほどだったのにもかかわらず、次第にノミとトンカチを持たず、包帯もなく素手でドン・ジュアンの手を握るようになる。マリアは婚約者のラファエル(天城れいん)に「結婚したら彫刻は辞めるように」と言われた時には不満そうだったが、ドン・ジュアンと出会って、すんなりと彫刻を手放してしまったようだった。自分の作った騎士団長の像を、自分で叩き割るほどの激しさを持った雪組版のマリアが好きだった(そしてドン・ジュアンはそんなマリアに惹かれたと思っていた)ため、このマリアの変化には驚いた。マリアが「聖母」であることを強調するための変更だったのだと思うが、それは男性側の視点から生まれるものであって、少し抵抗を覚える。自分の意思で彫刻を辞めたことがはっきりと示される雪組版の自立したマリアを期待してしまっていた。

 もうひとつ残念だったのは、立体的な石の世界を表現した装置であるにもかかわらず、映像が多用されていたことである。映像はうまく使えば場面転換も容易で、スペクタクルな場面を作り出すことができる。東宝の「アナスタシア」は非常に効果的に映像を使っていた良い例だと思う。映像が他の装置の邪魔をせず、映像だからこそ可能な表現に成功していた。だが、今回は映像が投射されると装置の立体性がかき消され、平面であることを意識させられた。照明に限界があることも理解はしているものの、照明を使えば立体的な表現は可能だろう。自分と映像の相性が悪いことは分かっているが、時に今回のように映像が十分な効果を生んでいない場合は、映像が使われるたびに集中力が切れてしまった。

 「石」をテーマとして据え、内容も改変した本作だったが、やはり「石」はテーマよりも素材の一部として扱うのが良い道筋ではなかったか。雪組版の方がストレートに愛というテーマを表現していたのに対し、花組版ではテーマが分散していたとともに、尺が伸びたこともあり(その割にドンジュアンの背景が分かる場面はカット)ストレートな力強さは半減してしまったと思う。ただ、雪組版とは別物だと考えれば、「石」を取り上げたのは面白いし、各所に工夫が見られた。

 演者に言及すると、やはり刻々と変わる永久輝せあの表情が素晴らしく、最後倒れた後の表情はあまりに安らかで吸い込まれそうだった。星空美咲の歌声は高音のみならず低音に至るまで、これまで以上に磨きがかかり、騎士団長に操られているように動く場面では凛としつつも不自然な歩き方が印象に残った。永久輝と星空の歌声の相性は今までも素晴らしいと思っていたが、特に「Changer」で心地よいハーモニーを聴かせてくれた。
 歌声といえば、ドン・カルロを演じた希波らいとの歌声が聞き取りやすく、素晴らしかった。彼女にはコメディエンヌの才能があると思っているのだが、「二人だけの戦場」や今作のようにシリアスな雰囲気の中でも、丁寧な芝居を見せてくれる。そして、何よりフラメンコの場面でダイナミックな踊りで魅せた花娘たち。最初、騎士団長の娘役で登場した二葉ゆゆや小春ひめ花は遠くからでも目を惹く。花組はダンスの組と名高いが、全体で揃えるというだけでなく、魅せ方が上手いジェンヌが集まっていると思う。彼女たちが踏み鳴らすことで生まれる圧が作品の熱量をぐんぐん上げる。また、歌の上手いジェンヌがいるな、踊りの上手いジェンヌがいるなと思ってオペラを上げると、だいたい美空真瑠。心強い下級生だ。

 期待しすぎたゆえに全体として若干消化不良なところがあり、初演版から相変わらずラストは腑に落ちないが、御園座まで足を運んであの場に立ち会えたことは良かったと思う。次の大劇場公演にも期待したい。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集