“ほのぼの”でいいの? 花組「Liefie -愛しい人-」
先日、日本青年館ホールにて花組「Liefie -愛しい人-」を観劇した。まずは、東上初主演となった聖乃あすかさん、七彩はづきさん、おめでとうございます。
今作品については、珍しく開幕の翌日に観劇することができたため、前情報をほとんど入れずに劇場へ向かったが、観劇後には劇場内でもSNS上でもちらほら否定的な意見を耳にした。主にはストーリーが魅力的ではないという意見だが、私はそのことに賛成しつつも、このストーリーには良いところもあって、それを活かす方法が他にあったのではないかと思った。
物語の舞台はオランダ。小道具や衣装から、ひと昔前の時代設定のようだった。主人公は新聞記者のダーン(聖乃あすか)。幼馴染のミラ(七彩はづき)のトラウマを心配して、彼女を守りたいというのが物語を貫く彼の意志である。「ロマンチックコメディ」という副題がついている通り、ダーンとミラの恋物語をコメディチックに描く、かと思いきやミラの幼少期に両親を交通事故で亡くしたトラウマを描いたシーンがかなりの部分を占めていた印象である。
最近の宝塚の芝居演目は見る側を不安にさせるような内容が多々あった(恐らくこれまでは容認されていたものが時代の空気に合わなくなってきている)が、この作品に関しては安心して見ることができたということはまず言っておきたい。良い作品が成立するための最低条件として、まずは演者が安心して出演できること、そして観客も安心して見られることがあると思う。「Liefie」にはヒロインを自分の部屋に連れ込んで一方的にキスをするような登場人物はいないし、自分や自分の愛する人の心の傷に対してどのように向き合うかという主題を丁寧に扱おうという姿勢が見られる。劇中歌「ほのぼのやろうぜ」やよく登場する掛け声「せーの!」は、主演聖乃あすかにかけたダジャレのようで、劇場を暖かい空気で包む。一方で、コメディとシリアスが混在していることで、どっちつかずになってしまい、メリハリの無さも感じられた。
コメディ作品としての素質はあると思った。祭りの場面でミラがダーンにニワトリの帽子を被せるというアイデアは面白いし、その他所々に散りばめられたギャグの多くは観客の笑いを誘っていた。ただ、演出の問題なのか演者の問題なのかは分からないが、台詞を放つスピードが早く、大勢が登場する場面では誰が喋っているかが分かりづらく感じた。間がほとんど無いのである。その中でダーンとミラの幼馴染アンナを演じた真澄ゆかりは、ハキハキとした役ながらも手堅い芝居を見せてくれ、キャラ作りやテンポの上手さが光っていた。
そして、コメディの間に挟まるシリアスな場面だが、物語のテーマを伝えるには必要な場面たちだったとは思う。ただ、もう少し印象に残る演出ができたのではないかと思う。たとえば、侑輝大弥演じるレオは、「敵役」として登場するのだが、主人公たちとの絡みがあるのは2幕からだ。2幕に彼らが出会ってから大きく物語が動き出したため、1幕の時点で出会わせても良かったのではと思った。基本的に主人公ダーンの性格は自分から問題を解決していこうというよりも、受身タイプだったので、なおさら物語を動かすキーパーソンとしてレオとの絡みが必要だったと思う。温かみのある物語を目指したことによって「シリアスに振りすぎない」という選択をとったのかもしれないが、コメディとシリアスの間のメリハリを生む難しさを痛感した。
また、もう一つ気になったこととして装置デザインを挙げたい。椅子をモチーフにしたかなり大規模なもので、舞台両端に階段を設けて2階部分を作っていた。2階建て、または3階建ての装置はよく見かける。多くは、物語の流れに沿って必然的に存在しており、物語や人物の心情を表現する役割を負っている。その場合装置はあくまで脇役であり、「装置であること」を忘れるくらいの存在感が要求されると思う。今回は、ほとんど転換をしないで済むように演者が開閉したり、椅子や机をしまったりできるようになっていた。ニトリの勉強机みたいに機能性を持たせたアイデアは素晴らしいと思ったが、演者がそれらを出し入れするたびにそれが「装置であること」を実感させられ、物語を追う意識が削がれてしまった、というのが正直な感想である。
指摘したい点は色々あるが、「ほのぼのやろうぜ」という題目を掲げつつも、「本当にほのぼのでいいのか?」という主人公ダーンやレオの葛藤を窺うことができ、「言葉の暴力性」というテーマを宝塚歌劇で扱う意義は大きいと思った。