【不登校の親 体験記】不登校の息子を育てて②
おこのみ会代表の国賀です。
私は愛知県安城市で不登校の小中学生と親の居場所『おこのみ会』を運営しています。
前回から自分自身の不登校児の子育て経験を書いています。
行き渋りから母子登校…そして不登校へ
学校への行き渋りはほぼ毎日ありました。
毎日話を聞くのですが、その日学校で嫌だったことが次から次に出てきます。
『友達が意地悪する。』
『ひらがな書けない。』
『計算がわからない。』
『お直しが嫌だ。』
『教室がうるさい。』
初めての子でしたし、親としてはどうしてあげたら良いかわからないことばかり。
先生に連絡帳で相談したり、宿題を一緒に頑張ったり、登校に付き添ったり、気分を上げるために工作を一緒にやったり…。
とにかく必死で息子に向き合いました。今思えば当時の私は相当頑張っていたなと感心します。
それでも、毎朝泣いて学校行くのを嫌がり、登校を付き添っても離れられず、どんどん悪化していくばかり。
二学期には授業中も付き添うことになりました。
それでも行き渋りは悪化していき、段々教室に入ることが出来なくなっていきました。
時間をかけて息子を学校につれていき、空き教室で二人で過ごし、先生に渡されたプリントをやる日々。
正直これなら家でやった方が負担が少ない。学校に苦労して連れて来る意味があるのだろうかと葛藤しました。
その頃下の子は1歳半で、親族に預けて毎日息子に付き添っていました。そのことも私にはずっと気がかりでした。
学校を否定するつもりはないけど、
『こんなに親子で苦痛を感じながらでも通わないといけない場所なのか。』
『嫌がる息子をこのまま通わせていいのか。』
『学校に行かなくていいと言ってあげた方がいいのではないか。』
そんなことが毎日頭に浮かびました。
それと同時に
『学校に行かなくて、この子が将来困るのではないのか。』
『どうしてこの子だけ通えないのか。』
『これは怠け?怠けを許したらダメな人間になってしまうのではないか。』
『学校に行かないということはずっと家で私が見ることになる。出来るのか。』
『そもそも私の子育てが良くなかったからこうなってしまったのか。』
そんな気持ちが頭から離れず、精神的に追い詰められていきました。
不登校の道を選ぶ
結局母子登校は一ヶ月で限界を迎えました。
息子の限界ではなく、私の限界です。
息子はとうに限界を迎えていたのに、私が無理をさせていたのだと思います。
息子が不登校になった日は、私が「行かなくていいよ」と葛藤しながら決死の覚悟で息子に伝えた日となりました。
不安な気持ちでいっぱいでしたが、どんどん荒れていく息子の心が壊れてしまうことが怖くて、そんな息子を見ている私の心が限界で、「これでいいんだ!」と必死に自分に言い聞かせていたように思います。
息子が小学校1年生の秋のことでした。