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心の断捨離🛁「寛解したい」を手放してみる
こんばんは、おこめです🍚
早く寛解したい。
今より楽に生きられるようになりたい。
わたし含め、精神疾患を抱える方は、みなさん願っていることかと思います。
でも、この「寛解したい」という気持ちを一度手放してみることにしました。
別に寛解しても、寛解できなかったとしても、どっちでもいいんだって。
そう思うようにしました。
寛解することにこだわらない様に、自分にプレッシャーをかけない様にしようと。
「寛解したい」が常に頭の中にあると、少しでも嫌なことがあったり、できないことがあったりすると、すべてがダメなような気がしてしまって。
毎日が減点法になってしまう。
100点もしくは、100点に近い日々が続かないと、「自分はまだ寛解には程遠いんだ…」と落ち込んでしまうなって。
日記に、昨年まではその日の点数を書いていました。
でもそれも、今年から辞めることにしました。
統合失調症を抱えてると辛いことも多いですが、今日はいい日だったなと思う日もたくさんあります。
でも100点って中々つけられないんです。
90点さえなかなか難しい。
1点の曇りも無く「素晴らしい日だった」なんて思える日って、人生で1度あるかないかかも知れないなと。
思えば、統合失調症になる前から、生きていて辛いことってたくさんありました。
他の病気や怪我に見舞われたり、暗い気持ちで毎日学校や会社に通ったり、大切な人との別れを経験したり、、。
なのに統合失調症になってからは、自分の身に起きた不幸なことをすべて、障がいのせいだと思い込んでしまう。
そんな癖がついていたことに、気がつきました。
「寛解したい」を手放すことは、
元気になることを、諦めるという意味ではありません。
病気を良くする努力は続けていきたいです。
ただ、「いま自分は寛解しているのか」というのを、逐一気にして、それにこだわるのを辞めるという意味です。
最終的に寛解できたか、できなかったかのジャッジは、いつか最期を迎えた時の自分に委ねちゃおう。それくらいの軽い心持ちでいようと思います。
今日も最後まで読んで下さり、ありがとうございました🪻
またお会いできたら、嬉しいです。
それでは☺️