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劣等感と比較マインドは終わりにしよう。あなたのせいじゃない構造上の問題だ。


ちょっと言葉足らずになるかもしれませんが、お許しください。

今の気分は少し自分の役割とこれからの生き方をさらに明確に提案していけるのではないかという感覚があります。

多くの人が問われている常識やこうすべきだという信念のようなものは今の時代に生きる人たちの生きづらさに繋がっていると感じています。

しかし、その生きづらさを誰かに教わるのではなく、自分で感じ取り、言語化して発信して、行動に移していくことが重要な段階です。

そんな時に、僕はどんなことを感じているかというと評価軸が一つしかないということへの疑問だ。さらに誰かを評価して選別するようなことに何の意味があるのかと強く疑問を抱いている。いや、怒りに近い。

均一な製品が並ぶ棚に僕らは飽き飽きとしてるとこはないだろうか。

もっとクリエイティブであろう。そんな感じで書いていきます!

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誰かと比較することの無意味さを感じてみよう


塾で子どもたちを指導していると集団授業という既存の学校の形だと現状理解できる子どもたちはついていけるのですが、授業が理解できずに放置されている子どもたちはついていけずに放置されていきます。

追加で説明しておきたいのですが、少しのわからないをまぁいいかと思ったことが始まりとして、気付けば、自分で宿題ができなくなり、答えを写すようになり、最終的には成績が下がり、お母さんに激怒されるという負のサイクルがあるのではないでしょうか。だから、先生の問題ではありません。

さらに、下記の表の調査のように、わからないことで勉強が嫌いになっていることもわかります。

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そこで感じることは、これは世の中と同じだなぁということです。

今の時代は、Youtubeやインターネットの普及で驚くほど情報を無料で得られるようになっています。しかし、インプット(勉強)することに不快感のない人は、情報にアクセスでき、問題にあたっても自分で解決することができますが、インプット(勉強)することが不快な人は情報にアクセスできずに問題にも気づかないと言えます。

努力でお前も自分で全てをできるようになれと言われても、集団授業でわからなくなってしまって、勉強することが嫌になってしまった気持ちもわかります。

その場合どうすればいいのでしょうか。

学び直すための家庭教師の先生が必要かもしれません。


成績評価とともに個別対応が必要。

成績を評価するということは、同じ評価基準で人を比べるということだと思います。少なくとも評価される側からすると比べていると感じても仕方ありません。そして、成績表を家に持ち帰り、今までニコニコしていたお母さんが『勉強しなさい!』と怒り出すのです。これによって、家族にも学校にも居場所をなくしている子どもたちがいると思います。もし評価するのであれば、放置するのではなく、成績が上がるような個別対応をしてもらう必要があると感じています。

『あなたってできないよね。』って言って放置されたら辛すぎますよね。

もちろん、メリットもあります。ですが、少子高齢化、人口減少時代に僕は自ら学ぶことや行動することに億劫になってしまっている人や諦めている人が活躍することがこれからの日本にとって大切だと感じています。

子どもに関係なく、大人も個別にこれからについてどう対応するのか相談できるような時間を取ることが大切だと感じています。今もコーチングやカウンセリングが注目されていますが、本当にそういった可能性を広げる人たちが必要な時代だと感じています。

構造上誰もが劣等生になりうる

さらに、この問題は構造として起こることだとも思っています。

働き蟻と言われる理論をご存知でしょうか。

どのような組織でも、2割の人間が優秀な働きをし、6割の人間が普通の働きをし、2割の人間がよくない働きをするという法則(経験則)を意味する語。ビジネス書などで引用されることが多い。起源は諸説あるが、松下幸之助が提唱したともいわれている。人間だけでなく、アリやハチの社会でも同様の現象が確認されるといわれることもある。類似の法則に「パレートの法則(2-8の法則)」がある。

2-6-2の法則を学校教育に応用するのであれば、2割は独学でやる気を持って勉強をして成績を向上させることができると思います。ですが、8割はサポートが重要になります。さらに、そのうちの2割はついていけていないわけですから、自信を失っているかもしれません。

学校を卒業しても、職場・趣味・友達という母集団の中で自分がどこかに当てはまることになります。誰もが母集団の優秀な2割にいることは稀だと思います。

なので、構造上誰もが劣等生になりうるということです。


比較することで失敗を恐れる

常に人と比較するマインドを持っている人も多いのではないでしょうか。それは、競争の原理を利用した教育が主流だからではないでしょうか。競争の原理は自らの動機付けにうまく使えると良いかもしれませんが、自分が勝ち目のない競争に入れられると諦めてしまうことになります。

目標が高すぎると、幸福度とやる気が下がることもわかっているので、比較の対象を誤っていると常に不幸でやる気がない状態になるということです。

構造上の問題と比較するマインドを組み合わせている人がかなりいるのではないかと思います。

受験をして、自分が構造上の2:8:2の落ちこぼれている側に入る経験をしている方は多いのではないでしょうか。その時に、他者への劣等感ややる気の喪失感はなかったでしょうか。

”勝てないって決まってない。諦めたらそこで試合は終了だ!”と常に励ましてくれる人がいるなら別ですが、基本的には、自分で拗ねる状態になります。

そこで拗ねてしまうと大変です。自分の自信を失うと、自分の自信を必死で補おうとするか、自信を失わないような保身に走ります。

構造上の問題だと切り替えて、自分が2:6:2の優秀な層に入れる領域を見つける必要があります。しかし、比較マインドを大切にして自信を失ってしまっているとなかなか行動に移ることが難しくなります。

失敗することでさらに自分の価値が減少すると恐怖を覚えているのです。


今思うことは、

失敗を恐れずに自分が楽しめる領域やうまく行くことを探すための実験の期間を人生に持てる人が増えるといいなということです。その天職と言われるようなものを見つけられたら幸福だと思うのです。


探すことは悪いことじゃない。失敗を怯えて、行動せずに後悔するのか。

もちろん、決断はご本人なのですが。


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