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継続するためには最低ラインを低くする【生きるのも同じなのかな】#782
おはようございます。
12/21 りそな創業スクールの発表がいよいよ今週土曜日に迫ってきました。昨日はその練習のために、同期生に声をかけて会場にいってきました。本番通りの5分間のピッチは、思った以上に時間が短く、いかに凝縮して思いを伝えるかが問われます。後悔のないように、しっかりと準備をして臨みます。 おもいをこめる おこめさんです。
noteの毎日継続も800日に近づいてきました。
そんな中お風呂に入りながらふと考えていたことがあります
それは生き続けるのもある意味継続してることなのかな と
一昨日の究極のダメだしによって、これまでの自分の人生や大事にしてきた価値観が音を立てて崩れ落ちるような経験をし、自分という存在がどこにあるのか、その形はいったいどういったものなのか、それは自分が認められる形をしているのか、いろんな葛藤が頭に浮かびました
そのときに、ふと、 生きる ことに対しての難しさを感じたのです
完璧に近づいていると思った自分が
まだまだ未完成なところだらけで、汚れがたくさん付いていると知ったとき
そんな自分さえ受け入れて、それでも前をむいて歩いて行くことの難しさを感じたのです(そもそも人は完璧じゃない。完璧でないなんていう縛りすら必要ないのですが)
頭に浮かんできたのは、生き続けることも習慣
これは何もしなくても生きられるということではなくて、
実は生きることを決意し、命をつなぎとめることを毎日やっているんだなって思ったのです。
生きる=習慣と考えてみたときに大事になってくるのは
「ダブルゴールを設定する」です。
目指したい目標は高く設定しつつ
最低限ここだけはクリアしておこう
という最低ラインもひきます。
ぼくのnoteでいうと
「読んでくれた人が少しでも得るものがあるように 学んだことや体感したことを正直に綴る」が目指すライン
「とにかくどんな内容でもいいので投稿する」が最低ラインです。
10文字でもいい と
とにかくこうであるべき のラインを極限まで低く決めておくのです。
こうしておくことで寝坊した朝も「寝坊しました」でOKです。
この感覚を生きることにあてはめるのなら、
「毎日ご飯を食べて寝ているだけでいい。生きてるだけで丸儲け」
です。
こういう感覚をいかに忘れずに持ち続けられるかが、人生をどんなときも諦めずに生き続けられるかにつながる気がします。
どんな人も今日も生きている、ただそれだけで素晴らしくすごいことなんだ
そんな前提で世の中を見るとまた違った景色が見えてくる気がしました。
常に目標は高く持ちつつ、最低ラインは究極のところにひいておく
この意識をもって今日からも進んでいきます
今日もここまで読んでくださってありがとうございます。