学校でできること、できないこと【子どもの未来を支えるためには?】
おはようございます。”おこめさん”です。
今日は久しぶりに学校の先生っぽい記事を書こうと思います。
題して「子どもたちのために学校でできること、できないこと」です。
おこめさん→現在育休中の2児のパパ。教員10年目。子育て、教育に関して毎日発信中
学校でできること
これはたくさんあります。一つ一つ紹介していきます。
勉強
これはもう当たり前ですね。毎日6時間、学校では授業が行われており、ある程度質が保証された授業を受けることができます。
現場では多くの先生方が一回一回の授業を子どもたちの思考に至るところまで想像し、全体をデザインしていきます。
特に最近では一斉授業型ではいけない、子どもの頭をアクティブにさせることが大切である、という形が浸透しつつあり、どのような問いかけをどのタイミングでだすべきか、頭を悩ませています。
もちろん先生によって様々ですが、真似できないような圧倒的なひきつけ力で授業を展開する先生もいれば、大人でも「ん?」と唸るような角度から問いを投げかけてくる先生もいます。
先生たちは授業に対して一番のモチベーションをもっており、そこに自分のプロとしての意地をぶつけています。
この授業のクオリティに関しては、現場の一教員としても誇れる部分だと考えています。(もちろん、すべての先生のすべての授業とまでは言えませんが)
クラス作り
ここも先生たちの腕の見せどころです。先生方はそれぞれの経験などを駆使して、毎年さまざまな手でクラスをまとめていきます。
1年間たつと、本当に先生たち独自のクラスカラーになっているものです。
あったかいクラス、メリハリのきいたクラス、元気いっぱいなクラス、
それらの舵とりをするのが担任の先生で、ここも毎日たくさんの工夫と情熱を注いでいる部分だと思います。
(情熱とかだけに頼ってしまっているシステムエラーは否めませんが)
マナー、モラル教育
クラス作りや授業作りにも通じるところがありますが、現場では日々たくさんの問題が発生します。その都度、先生方は一人ひとりに合わせた声掛けをし、内省を促し次の失敗の種をなくそうとします。
クラス全体での取り組みの際には、全体にそれらの事象がどうだったか投げかけ、みんなが考えるためのきっかけにしたりもします。
「こういうとき、みんなだったらどう感じる?」
一人ひとりの感じ方の違いを知ることもクラス作りの上で大事な部分でもあるからです。
学校教育にしつけ の部分を担ってもらっている と感じる保護者も多いようです。
部活動を通した体力作り、チーム作り
中学校では毎日部活動が行われています。
そこでは生徒の体力向上はもちろん、同じ目標に向かって努力を重ねていく、チーム作りを通しての学びもあります。
ときに同じ目標に向かっているはずだけど、方法に関してもめてしまったり、試合後の捉え方によってトラブルに発展したりもします。
その都度顧問の先生はミーティングをもったり、一人ひとりとの面談をしたりし、問題を解いていきます。
クラブ顧問がしたくて中学を選ぶという先生もいるほどです。熱心にされている先生方は今もたくさんいます。
(これもすべての先生が必ず持たないといけないという学校の中での縛りが様々な別の問題を発生させてしまっていますが)
これ以外にも掃除、昼食指導、登校マナー、身だしなみ、道徳教育、情報リテラシー、学校で担っているものはまだまだたくさんあります。
また子どもの視点にたつと、友達とのつながりなども学校ならではの部分かと思います。
学校ではできないこと
上にたくさん書いていきましたが、実はそのほとんど全てが先生たちの子どもたちを思う情熱にかかっている部分が大きいのです。
そして、すべてに全力でぶつかり続けていくといつか体を壊してしまいます。ましてや家庭を持ち、自分の子育てに向き合ったときに、上記のすべてを完璧にこなし続けることが難しくなります。
先生たちにも決められた労働時間があり、上記すべてをこなしていくと簡単に過労死ラインを越える残業という形になってしまいます。
時間外の長時間労働が問題になるのは当たり前のシステムになっているのです。
最低限やらないといけないという 絶対ラインが明確にひかれていない(管理職によって解釈に差がある)からこそ、一人ひとりの先生が抱え込みすぎてしまい、もしくは抱えなさすぎてしまい、問題につながったりしてしまうのです。
たとえ、どれだけすべてに全力をつくしたとしても、学校だけでは手が届かないところがあります。
それが
自宅での授業の振り返りを含めた学習習慣、学習指導要領外の指導についてです。
1教員としてはここがとっても歯がゆかった経験があります。
いくら情熱を注ぎ、子どもたちをひきつけわかりやすい授業をしたとしても、実際に記憶に定着していない ということがよくあります。
人の脳は一度聞いて、理解したら記憶できるようになってはいません。結局は家庭でもう一度自分の力で思い出してみる、まとめてみる、問題を解いてみるという部分が必要なのです。(もちろん毎回の授業に振り返りを設けますが、それにも限界があります)
そのことをいくら学校で伝えたとしても、それを行動するためには自分の生活に潜む様々な誘惑や時間の使い方まで見直す必要がでてきて、子ども一人ではなかなか難しくなってきます。
そうして、子どもはテスト前になってあわてて思い出そうとしますが、ほとんど忘れてしまっていて覚え直し
とっても無駄が多くなってしまっているのです。
その結果、テストの点数が悪くなり、進学塾に通わせることなりますが、塾は塾で学校とは別のカリキュラムで動き、学校と同じ内容を別の教え方で伝えています。
確かに学校よりわかりやすい授業が聞けることが多いのかもしれませんが、子どもにはほとんど同じ内容の授業を二回していることになり、とっても時間の使い方に無駄があるなって感じるのです。
(子どものころの時間はとーっても貴重)
それよりも一度教わった内容を自分なりに振り返り(想起)、言語化し、別のこととつなげる。(再言語化)
これを繰り返したほうがもっともっと子どもたちの時間の効率はあがると思うのです。
さらに、テスト前だけ、受験に合格するためだけの学習にはあんまり意味がないと思っています。学習とは一生続くものであり、学生時代だけやっていればいいというものではないからです。
とくにこれからは生涯学習がとっても大切になってきます。常にアップデートしていないとどれだけいい大学を出てもすぐに追い抜かれます。(一つの企業で一生安泰がなくなる)
だからこそ、子どものうちから学習することが当たり前って感覚(もちろんそれが楽しいって感情) それを支えるものが必要だと感じるのです。
毎日歯磨きするのが当たり前、毎日お風呂に入るのが当たり前、のように毎日学習するのが当たり前になっている人は意識しなくても一生成長し続けられます。
だけど、前述した通りそこには学校は手を出ししにくい(計画表をつくり、学校でチェックしたりはしましたが、サポートにも限界があります)
さらに、学校の授業で教えるカリキュラムで精一杯の現場では、社会で必要なその他の知識を伝えきる隙間は残されていません。
本当は学校の授業だけやっていれば将来活躍できる大人になる
とは思っていません。もっと伝えたいことがある、だけど時間がない
それが現場の本音だと思うのです。(もしくは本気で9教科だけやっていればいいと思っている人もいるのかも)
おわりに
これらが学校現場にいるぼくなりの考察です。
ぼくはどこまでいっても先生であり続けたいし、子どもたちの未来を思っていきたいです。
学校にいるからこそ、学校の良さもわかるし、学校の強みもわかります。
だけど手が届かない部分もわかる
ぼくはそこに手を入れて子どもたちを学校とともに支えていける形を目指したいのです。
まだまだきちんとした形にはなっていませんが、必ずこの理想を形にしてみせます。
そしてお見せできるときには、このnoteで真っ先に紹介させて下さい。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。
いつも、スキ イイね フォロー ありがとうございます。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。
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