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私の人生を大きく変えた障がい者スポーツチーム

私の人生を大きく変えた、ターニングポイントのひとつが20歳の頃。

それが、障がい者スポーツとの出会い。

東京パラリンピックの影響もあり、今では「パラスポーツ」と呼ばれることが多いと思いますが、当時はそういう呼ばれ方をしていなかったので、あえてそのまま「障がい者スポーツ」と書きます。

障がい者スポーツとの出会い

子どもの頃からパソコンに興味があり、たしか幼稚園ぐらいの時からワープロで、適当な言葉をタイピングをしていました。

小学生のときに書いた、将来の夢は「プログラマ」。

そんな私は高校卒業後、IT系の学校で学び、長年の夢だったプログラマになりました。

仕事は忙しいものの職場の雰囲気は悪くもなく、楽しく仕事をさせてもらっていました。

しかし、毎日家と職場の往復で、仕事後の時間を持て余すこともありました。

参加して楽しめるようなバスケットチームがないかなとネットで検索して、ヒットしたのが車椅子バスケットチーム。

そこで目にしたものは「ボランティアスタッフ募集」の文字。

ボランティアなんて全く考えてもいなかったけど、バスケットは好きなので「とりあえず行ってみるか」と気楽な気持ちで行ってみました。

未知との遭遇

練習会場へ行って目にしたのは、それまで見たこともなかった競技用の車椅子に乗ってコートを動き回る障害者の方々。

私のそれまでの人生で、車椅子利用者の方と関わる機会なんてほとんど無かったので、どう接していいか最初はすごく戸惑いました。

どう接したらいいんだろう。

何を話せばいいのだろう。

そんな私にメンバーの方々は気さくに接してくれた。かなり救われました。

なかなか慣れずに不安はあったけど、それ以上に「バスケットが好き」という気持ちがあったから、このチームに関わり続けていました。

夢だった仕事をたった1年で辞めた

このチームに数ヶ月関わっていくうち、人と関わる喜びを感じました。
そして、急に「福祉の仕事をしたい!」に思い立ってしまいました。

夢だったプログラマの仕事。結果的に1年も経たずに辞めることになりました。

そして、このチームと関わりながら介護の勉強もして、ホームヘルパーなどの資格も取得。

タイミングのこともあって、介護の仕事をすることはなかったけど。

障がい者ではなく、ひとりの「人」

このチームのメンバーと関わるうちに、障がい者だってタバコも吸うしお酒もガンガン飲むことを知った。当たり前っちゃ当たり前だけど。

酔い潰れてたのを何度も介抱したこともあるし。

まだ20歳そこらの私にとって、これまでの価値観がひっくり返るほどのとても貴重な経験をさせてもらいました。

初めて会った頃は「障がい者」として見ていましたが、自然とその意識はなくなっていました。

視野が広がった

大会などで飛行機に何度も乗りました。おかげで、車椅子利用者が搭乗するときの航空会社のオペレーションなどを見ることでとても勉強になりました。

大会遠征に行くと一緒に寝泊まりもするし、これまで経験したことのないことをたくさんした。

チームに関わることで、日常のバリアフリーの問題に目線が行くようになったかなと思います。

・・・

このチームとの出会いは、確実に私の人生を変えてくれました。

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