礎
あの家で私のために作られた食事などあっただろうか。
覚えがない。
家出をして一人になってから、自分のためにいろんなものをつくってはいる。昨日はフライパンで焼けるパンを捏ねた。
家出を目前にした2019年の春、月の食費が3千円くらいになるほど切り詰めていた時に、この家出を手助けしてくれたうちの一人、なーさんに呼ばれた。
なーさんは隣市にある事業所の建屋を管理運営する仕事をしている人で、その建屋に泊まりにおいでよ、ということだった。
夕方に約束して、ホイホイなーさんのいる建屋へお邪魔した。
平屋の、昔レストランだったという建物の奥、かつては事務所だった部屋から
「こっちこっち」と声がして、「お邪魔しまーす」と私はドアを開けた。
部屋にはテーブルがあり、その上にホットプレートがあり、野菜があり、肉があった。
「お疲れ〜お腹空いてる?いい時間だもん空いてるよね!元気の出るもの食べよ!」
毎日小麦粉とキャベツでお好み焼きもどきをつくったり、もらった米を電子レンジで炊いて卵かけご飯で凌いだりしていた。一ヶ月に一度100円程度のアイスを食べるのがその頃の私の贅沢だった。
正直あの日の肉の味なんて覚えてない。そんな風に私を気遣いご飯を振る舞う人がいるってことがただただ衝撃だった。
肌はカサカサで、髪もパサパサで、自宅にいる時過食して太っていたのに家出前には20キロも体重が落ちていた私。気にする余裕もなかったけど相当見窄らしい姿をしていただろう。サイズの合わなくなった服を着て風呂にも碌に入れなかった私。
その様子を母も見ていたけど、母にとって私が見窄らしい姿をしているのは当たり前のことで、私にとっても当たり前のことで、なーさんにはそうではなかった。
自己肯定感がつき始めたのはそれからだと思う。自分をどう扱うか、どう扱われたいか、どうされたら怒るべきか。
あの日のなーさんの焼肉に搾取される子供の私が救われている。
引っ越しを重ねてかなり距離が空いたけど、今でも時々会いに行ってる。
あの日生きるために必要な栄養をくれた彼女に。
あの時はありがとう。私は元気にしています。