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雑考・日記・メモ「生涯学習者の共同体としての探究の共同体はありうるのか」
生涯学習の当事者性を考えた時、「探究の共同体」は何も「こども哲学」の特許ないだろう。「探究の共同体」は広く「生涯学習」と言う視野から考えてみても良いのだから。だから私はいわゆる「単なる年齢としての子供」を対象とした「子供哲学」にはどうも馴染めません。と言うのも私が関心があるのは単なる年齢の区分ではない「老人=こども」であり、そのような「老人=こども」が自ら自治する「生涯学習」であるのだから。
この「老人=こども」の「生涯学習」について良く考え、リサーチアクションする事はもっとあっても良いし、私はそれこそが「広義の福祉」であるのではないかと思うのです。だからそういう在野の実践をしていきたいし、してきたつもりです。しかし実際は難しく、理解されないか誤解されるばかりでまったく上手くいっていない・・・。「街づくり」だってその一環であるのだけれども。
残念。
以下、田中建彦 長野県看護大学紀要 7 : 93-100 ,2005 より抜粋・転載します。
「 西洋における大学は11世紀から12世紀にかけてイタリアのボローニャとフランスのパリに生まれた。 “University” も “College”も語源的には組合を意味する言葉であり,学問を目指してある都市に集まった学生または教師集団の自治組織(ギルド)として誕生したもので,大学自治の問題はそのはじめから大学組織の本質的なものであった。ボローニャ大学は学生のギルド,パリ大学は教師のギルドであった。当時の大学は土地も建物ももたない人々の集団組織であったので,移動が自由であった.都市や市民が大学の自治を侵すことがあると,大学は学問の自由を求めて,他の都市へ移動していった。こうしてオックスフォード大学やケンブリッジ大学などが次々と生まれていった。今,日本では政府の主導で大学改革が行われている.大学の起源にさかのぼって,今一度,大学のあるべき姿を考察してみるよい機会であるかもしれない」
2021年11月 岡村