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哲学・日記・メモ 「信じる者と疑う者と問う者について」
信じる者と疑う者と問う者について
人が何かを語った時、「問う者」は「この人は何故このような事を語るのだろう?」と自らに「問う」。「本当にそうか?」と彼を「疑う」のではない。「何故?」と自らに先ずは「問う」。だから彼は「問う者」なのだ。
そして「問う者」は「本当にそうか?」ではなく「何故?」と問う故に「疑う者」ではない。「疑う者」は「本当にそうか?」と「疑う」のだから。と同時に「問う者」は「信じる者」でもない。「信じる」には「問い」は含まれないし「問い」に「信じる」が含まれる事もないのだから。だから「問う者」は「信じる者」ではない。
とってはいっても彼は全く何も信じないという事ではなくて、「信じる」よりも「問う」を優先するという事である。彼にとって「信じる事」が嫌いであったり困難なのではなく、「問う事」を先ず優先するるという事なのだから。かくして「問う者」は「信じる者」ではない。しかし「疑う者」と言うわけでもない。彼にとって「疑い」は問いのレパートリーの1つであるだけの事であり、だから「問う者」は「疑う者」を包摂している。包摂したうえで「信じる者」ではないのだろう。
どうも私は「問う者」であるようだ。
2021年11月