【憧憬】 初めての冬山〜斜里岳
いろいろと山行記録を綴ってきてはいますが、初めての冬山のことは忘れられません。
しかしながら、直後の山行記録を残していないため、わずかばかりの思い出を掘り起こしつつ、ここに記録しておきたいと思います。
向かったのは、斜里岳(しゃりだけ)北西尾根。
斜里岳は、標高1547m、夏にも初めての単独行をした、ぼくにとっては処女なる山です。
(当時の国土地理院地図では1545m)
日程:1990年1月1日〜3日
メンバー:Eさん、Kさん、M田さん、Fさん、ぼく
春に入会した社会人山岳会のみなさんが、憧れの冬山に連れて行ってくれることになり、師走は毎日10キロ程をマラソントレーニングした。
当時、登場しだしたスノトレを履いて、下宿から潮見や駒場の方面を走った。
冬山登山に必須だというアマチュア無線の免許も無事に取得した。コールサインは、JG8GHQ。
覚えやすいゴロの良いサインとなった。
出発は正月元旦。天候はくもりだった。
清里の江南に車を停めて、三井ルートの登山口をめざした。
はじめて履く山スキーは、歩くのが難しい。
平坦な林道でさえ、よく転ぶ。
転んでは、重たいザックを降ろし、体勢を整えて、また背負うという労力…
装備はみんな借り物だ。
冬山登山靴(皮)、山スキー、シール、ストック、ピッケル、アイゼン、寝袋などなど。
往年の諸先輩たちのものだ。
山スキーは、秀岳荘オリジナルの堅牢な重たいもの、金具はジルブレッタである。
そして、シールは本物のアザラシの一本毛皮だ。
唯一、自前で用意したのは、ICIオリジナルのオールウェザーウェア。最新のゴアテックスだ。
2万円もした。貧乏学生にはつらい出費…
この日は、玉石の沢から夏路上をたどり、標高700mくらいの樹林帯の中にベースキャンプを張った。
夕食時の炊飯を、みんなが褒めてくれた。
コッフェルでお米を炊くのは、高校山岳部の経験が生きた。
未成年ながら、少しビールをいただく。
夜、寝袋に入って眠ると、とにかく寒い。
ウェアとセーターだけでは寒い。
雪面とはテント生地、マットしかないのだから。
何かで読んで思い出したかのように新聞紙を取り出して身体に巻いてみた。あまり効果はない。
初めての冬山の夜は、あまり眠れなかった。
2日目は吹雪。
テントから出られない…
停滞となる。
ラジオを聴いたり、除雪したりしながら過ごした。
会長のEさんが下山した。
3日目、未明に起きると晴れだ。
Kさんが喜んでいる。
正月にこんな絶好な日和はないと言う。
M田さんは体調が悪くテントに残ることになった。
6時、まだ暗い中、ヘッドランプをつけて3人で出発。
先頭をゆくKさんに続く。
しだいに急斜面のダケカンバ帯となり苦戦する。
雪で完全に覆われていなく、それも新雪なので、山スキーごと膝まで深く埋まったりする。
ストックの力で何とか進む。
こちら側は山容の北側なので、日が当たらない。
Kさんに、もうダメです…と弱音を吐く。
慣れない山スキー、どうしてもシールが効かないのだ。
がんばれー、もう少しで稜線だー!との返答。
一箇所、どうしても山スキーでは超えられない急な箇所があり、山スキーを投げ出して雪を漕いで登る。雪まみれになる。
西尾根との分岐に着いた。
太陽と出会うと陽はもう高い。
風が猛烈に冷たい。
行動食をほおばる。
Kさんはタッパーに入れてきた、つぶれていないあんぱん。ぼくは冷たくなったあんころ餅。
Fさんはここまでの行動との申し出がある。
ぼくたちの下山まで分岐で待機するという。
寒くはなかろうか…
一本尾根になったルートを進む。
山スキーからツボ足に変える。
アイゼンの装着ほどではない。
とは言っても、まだ装着したことはないのだが…
一箇所、岩を飛び降りる地点あり、どうして素人のぼくがザイルを背負わされているのかと、苦言をKさんに言う。Kさんは笑っていた。
この写真を見る限り、ぼくは先頭にいるようだ。
最後の力を振り絞るように、ようやく頂上に辿り着く。
時刻13時15分。
もう冬の陽は傾いている。
すぐに下山開始。
下りは速い。Fさんとも無事に合流し、ベースキャンプまで転がるように下って行った。
ちなみに山スキーを滑らせられる斜面ではない。
じゃばじゃばしたダケカンバのせいだ。
ベースキャンプには夕暮れに着いた。
予備日を使い、もう一泊するものと思っていたら、すぐ撤収して、今日中に帰ることになった。
下りは散々だった。
何回、転んだか知れない。
ひどく疲れる。
冬山で転ぶと言うことが、どんなに疲れるものかを痛感した。
とにかく、重たいザックごとドタンと転ぶ。雪は柔らかいから、そのまま立てない。一度、ザックを肩から外す。起き上がる。山スキーにしっかり立つ。雪に沈んだ重たいザックを背負いなおす…
よろよろする、の繰り返し。
とてつもない体力を使うのだ。
ようやく林道に出た。
夜の帳が下り、月の明かりが世界を照らしている。
「銀色の道」の歌の情景が浮かぶ。
網走のEさん会長宅に、無事に到着し、やがて宴会となった。
山に行った人も、行かなかった人もみんなで登頂を喜び合い、今年もみんなで山に行こうやーと、めでたい新年の一体感となる。
まるで家族のように温かい。
そして、「晴れ男」として祝福をいただく。
冬山、正月山行で登頂できるのはスゴイらしい。
少しのアルコールと、初めての冬山で14時間行動をした途方もない疲労感は、今でも深く酔い、なぜかトイレの前に立つと思い出す。
Eさん宅のトイレを思い出すのだ。
初めてのことは忘れないものだなー
18才、ほんとうに諸先輩方に可愛がっていただき、初めての冬山を経験できて良かったです。
ありがとうございました。
一生、ご恩は忘れません。
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