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知床正月山行①

新春読み切り第一弾
「そりとタバコ」

 はじめに予定していた斜里岳〜南斜里岳は、12月25日の偵察山行で雪不足とわかり中止。
雪に困ったときの知床峠〜羅臼岳南西ルンゼとする。

日程:1993年12月31日〜1月3日
メンバー:先発隊 Fリーダー、ぼく
     後発隊 Eさん、ミツルさん

題名からして、今回の山行が、実に登頂記の話題に欠けるか察知された方も多かろうと思いますが、もし、よろしければお読みください。

12月31日、午前6時30分、東○琴からFリーダーと出発。国道に昇格した美斜線を斜里に向かう。警察署に計画書を提出してからウトロへ。
海沿いの道路に、弱気な朱色のうっすらとした朝が訪れる。海の色が明るい。
8時30分 ゲート到着。ここから厳白な乳房のような羅臼岳とその主稜が望まれるが、今日は雲がかかっている。今にも雪がちらつきそうだ。
堅くしっかりとパッキングされた質量をよっこいしょ、と担ぐ。肩に食い込む、顔が上がらない、なんてことはない。今回は「そり」を使う。適当に詰めこんだザックをそりに乗せて、車の牽引ロープを腰に付けて引っ張る。そう、あの極地探検隊のように。軽量なものは背中に、そして本体は特価498円のそりに。
閉鎖された知床横断道路をスキーでラッセルしながら進む。トレースがほとんどない。静寂の針葉樹林帯の中で、自分の呼吸と、そしてそのリズムに合った無意識に思い歌う曲が幾度も繰り返される。この日はなぜか「兄弟船」だった。
峠までは9km。
この道路を進むとき、いつも右に現れる距離表示板が気になる。出発地点のゲートは「27km」、そこから進むたびに半キロずつ減ってゆく。
後ろから付いてくる荷物も調子が良い。「背負う」となるとビール1缶を追加するのにも、なまら迷い、悩む。しかし、「ひく」となると心は大きい。この辺の精神的な面でそりの方が酒飲みにとっては良いのかも知れない。

一人で一息つく。最近覚えたタバコを取り出し、慣れない手つきで火をつける。「ふーっ」と白い息に混じって紫煙が白い空にでる。山での一服がこんなにうまいものとは。納豆に例えると、醤油をかけないで食べていたのと同じくらいだ。山での酒も然り。タバコを知ったいまのぼくは、納豆に醤油、ねぎ、卵、からしを入れているグルメを極めているのかも知れない。
Fリーダーは、かなりのヘビースモーカーだ。

メスと子どものエゾシカがいそいそと横の森林を急いでいる。そういえば、この道路の路肩の反射器は黄色い目を光らせたシマフクロウを模っている。そこらへんの土産屋で買うものよりはよほど珍しいのか、5つに1つは誰かが丁寧に外して頂戴しているとみえる。地をうろつくネズミたちにとっては、この飾りは恐怖となっていることだろう、と、つまらないことを思った。

Fリーダーが、愛山荘の横にテンパろう(山語録:テントを張ること)というので、そういうことになった。そろそろ、最初「かいちょー(快調)」のそりは自分のトレースの跡でひっくり返るわ、大事なお荷物様を落っことすわ、で言うことの聞かない子どもの相手をしているようで辟易してきていた。

12時30分 しばらく前人未到?の愛山荘に到着。早速、一服。Fリーダーも到着して、4〜5人用のテントを張る。世話にならない小屋の玄関の除雪をせっせとして、入ってみると風のない石炭の古臭い不思議な空間が暗闇に慣れない目の前に広がった。顔がゆるんだ。知らない誰かの空き家に入り込んだ子どものように、そっと外へ出た。
水作り用の雪塊をビニル袋に詰め込んで外に用意し、薄っぺらな青い我が家に入った。コンロの音を聞いて暖かさを感じ、冷たいビールを胃に流しこむ。ラジオからは大晦日の忙しない年間の曲チャート。
16時から天気図をひく。「石垣島ではー」から始まる。書き終わってみると、ばりばりの西高東低である。ただ、これから等圧線は緩くなり、風は収まるかなと思う。

さて、山にいると、年末から年始に変わったしらじらしさがなく過ごせるので、ぼくは好きだ。
31日は、あくまで入山日であり、元旦は入山2日目である。それでも、自分たちにけじめをつけるため、いそいそと年越しそばを作り出す。しいたけのダシの香りが、小さい厨房兼食堂兼居間兼寝室の多用途空間に立ち込め、たちまち「蕎麦屋れいめい」に変わる。もうビアガーデンは閉店したのだ。
18時に網走のS石さんと定時交信する。やはり自称19才のお嬢様は声に張りがある。交信後、しばらく寝袋にくるまり、漆黒の中、レコード大賞に耳を傾ける。無言坂が受賞し、服部克久さんの30分メドレーを夢うつつの中で聞いているうちに寝てしまった。
ヒューヒューと遠くの稜線が唸る声が、時折恐ろしくなる。翌朝は、一応、5時30分起床とする。

つづき



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