僕は友達が少ない
こんにちは。okknです。
6月ですね。
テレワークのせいで時間感覚が狂っているのか、新年度になってから2ヶ月も経ったという実感がないです。
先日初めて新入社員と顔合わせしたばかりです。
仕方がないこととは云え、遅すぎていろいろとやっぱり狂っているのだなと思います。
今日は友達の話です。
タイトルが釣りっぽくなっていますが、まぁ、狙ってないと言えば嘘ですね。
友達百人できるかな?
童謡「一年生になったら」の歌詞の一節ですが、ネタとして使われたり、友達百人できました自慢などに使われたり、有名なフレーズですよね。
私も小学生の頃は友達は多いほうが良いと思っていました。
小学生の頃はやんちゃな子として(また、リアルの黒歴史として)同学年の中でいい意味でも悪い意味でも目立っていました。
そのため、同学年の子供たちとは本当に全員が顔見知りで、学年全員(確か卒業時70人くらいだった)と友達といっても過言ではなかった気がしています。
・・・
中学生になると、地元市内の中学校ではなく都心部の進学校に行ってしまったので、友達関係はリセットされてしまいました。
小学生の頃は悪目立ちしすぎたので、中学生になってからは良い意味で目立とうと努力していました。
結果的に、中学1年生の間はクラスで成績が5番以内、学年でも30番以内くらいには常に入っていました。
頑張ったおかげで、周囲からは頭のいい人としてみんなが接してくれました。
しかし、アニメイトに行ってしまったあの日から全てが変わりました。
成績は下がっていく一方でした。
それでも今度はオタク友達が増えました。
ただ、アンチオタクな感覚で絡んでくる厄介な敵も増えました。
高校生も終わりの頃、友達と言える人は結局10人くらいしかいませんでした。
あまり意識して友達を作っていなかったからだと思います。
正直、多くの友達とのなれ合いよりも、アニメ・漫画・ゲームに費やした中学高校生活でした。
・・・
一般大学生と違って、私は防衛大学校の学生となりました。
要は、軍人の卵になりました。
軍隊的な雰囲気とでも申しましょうか、本格的に軍隊ではなくそれを真似ている空気感はありました。
したがって、協調が強く求められていました。
しかし、私は小学生から高校生に至るまで協調性なんてものは全くもって育んでこなかったために、大変苦労しました。
友達を作る感覚でいたら、当然怒られました。
「友達感覚でいられたら困る、仕事なのだぞ」と。
事実、特別国家公務員として国民の税金という給料をもらっている以上、生半可な気持ちでいるわけにはいきませんでした。
それでも、無理でした。
私に対する周囲の扱いは、腫れ物を扱うような感じでした。
使えないやつというレッテルが貼られ、ゴミ扱いされ、その一方で周囲は協調性というお題目のために仕方なく私に接しているようでした。
そんな環境で真の友達などできるはずもありません。
2年の冬、成人式に参加するために地元へ戻りました。
成人式では小学生の頃の友達の何人かと話をしました。
しかし、私のことを友達だと思ってくれていた人は1人しかいませんでした。
衝撃的すぎて、かなり愕然としたことを覚えています。
小学生の頃に自分が友達だと思っていた人たちはほとんど、子供の感覚でなんとなく私と話していただけに過ぎなかったのです。
いわば、知り合いに近い存在ですね。
気がつけば、2年の終わりに留年が決定しました。
大学生になって最大の危機に陥っていましたが、当然誰も私の心の支えになってくれる人はいませんでした。
私自身も誰にも頼ろうとはしませんでした。
そのときに、本当に全てが挫けました。
もう、実家に帰ろう、と。
故に大学生の時の友達と呼べる人は誰もいません。
・・・
実家に帰ってから3年ほどニートとフリーターをしていました。
この期間は友達を増やそうとTwitterをしていました。
フォロワー数も200人弱まで増え、何となく友達が増えた気がしていました。
それから就職先が決まり、再び正社員(前職は公務員ですが)として働きはじめました。
そこはベンチャー企業で、社員同士の仲がよく、月に1回はレクリエーションを行なっていました。
私は、手前味噌ですが、エンジニアとしては周囲から覚えが良かったため、それなりにちやほやされました。
レクリエーションに参加したらいろいろな人から声をかけられ、私からもいろいろな人に挨拶まわりをしていました。
その会社で3年が経った頃、転職を決めました。
結局誰も転職をする際に声をかけに来てくれませんでした。
私からは転職することになったと挨拶回りはしたのですが・・・。
そこで不意に気づいてしまったのです。
私のことに親身に時間を割いてくれない人と関わることは、果たして人生において有益なのか?、と。
私は、よく話していたすべての人を勝手に友達だと思っていました。
いずれも、ただの、片思いだったのです。
相互に心を許し合える関係でないと友達とは呼べないと思います。
そう気づいてしまうと、泣き出していました。
自分の感情が原因で、本気で泣いてしまったのは数年ぶりのことでした。
・・・
それからの行動は速かったです。
友達だと勝手に思っていたTwitterの人たちは全員フォローを外していきました。
中には罵詈雑言を投げかけてくるおかしな人も、勝手に友達だと思いこんでいました。
結局、残ったのは14アカウントだけでした。
そのうち、現実での友達が7人。
現実での友達の友達が4人。
同一人物のアカウントが2つ。
ほとんどTwitterをしていた意味などなかったに等しいのです。
Twitterは鍵垢にしました。
私のことに親身に時間を割いてくれない人と関わることは、時間の無駄だと気づいたからです。
私にも関わる人を選ぶ権利があるのだと気づくと、なんだか心が軽くなったような気がしました。
そして、顔も見知らぬ誰かに、親身になって時間を割こうとしてくれる人など、Twitterにはほとんどいません。
「いるよ!」という人はいるかもしれませんが、それは出会えた人の運が良かっただけだと思います。
誰しも、人の巡り合わせの運が良いわけではありません。
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私は寂しかったのだと思います。
そばに誰かがいて欲しいと、いてくれないと不安だと。
今思い返せば、昔から結構甘えたがりな面があったものです。
反抗期の頃から誰にも甘えられなくなってしまって、その裏返しの行動だったのかもしれません。
そう思うと、今の自分は昔より精神的に強くなったのだと思います。
「自分が関わる人はしっかりと選ぶべきだ」という思想を身につけたからだと思います。
友達が少ない自分を、全く不安だと思うことはなくなりました。
結局、現時点において友達と呼べる人は、中学高校時代に出会った人たちだけです。
その人達とは心を許し合っていますし、互いに助け合えるような関係を築いています。
この関係は多分一生続くと思っています。
■最後に
時間は有限です。
だからこそ私は関わる人というのはしっかりと選ぶべきだと思います。
友達が少ないことは悪いことではありません。
方や、友達が多いことも悪いことではありません。
自分の思想で判断することなのです。
私は、「私のことに親身に時間を割いてくれない人と関わることは、時間の無駄だ」との思想に至ったために、友達は少ないほうが良いと思っています。
関わるべきではないと感じた誰かのために使う時間を、他のことに使えるのですから。
それは人生にとって有益ではないでしょうか?