5.自分次第で全部変えられる。
(かなり更新が遅れてしまい申し訳ありません。
とても忙しい時期に入った事を言い訳にさせてください。
あと、今回当時のことを思い出しているうちに感情が出てきてしまい
内容はめちゃくちゃ、しかも文が長いという事態になってしまいました。
重ねてお詫び申し上げます。。すいません。。
そんなですが最後まで読んでくれると嬉しいです。。すみません。。)
それではよろしくお願いします。。
入部
僕が通っていた中学はには‘‘仮入部期間‘‘というものがあり、その期間中は興味のある部活を見に行くことができるので自分に合った部活を選ぶ事が出来る。新入生はこの期間に色々な部活の体験に行くのだ。
だが、バド部以外に興味がなかった僕は、初日から仮入部へ行き部内の雰囲気や構成を見に行くことにした。
男女に分かれていないバドミントン部で総部員は15名程度。
その内、男子が4人だけだった。
男子が少ないのは覚悟していたことだったが正直不安だった。
1つは体験入部に来ている1年生約20名のうち、男子が僕だけだったこと。
もう1つは試合に関するところ。
バドミントンは個人戦と団体戦の試合形式がある。
個人戦は1対1の「シングルス」と2対2の「ダブルス」があるので個人戦の心配は無かった。
しいて言えば僕が入ることで奇数になるので、同級生のいない僕はダブルスには出れないかも、くらいのもの。この期間に友達を誘えばとも考えたが残念ながら一緒にやってくれそう友達のあてもない。
気がかりなのは団体戦。
団体戦は2複1単(ダブルス2つとシングル1つ)と2複3単(ダブルス2つとシングル3つ)の形式がありそれぞれ最低人数が決まっている。
ダブルスとシングルスは同じ人が2回出てもいいというルールがあるので、最低でも2複1単なら4人、2複3単なら5人いれば試合に出場することができる。いわゆるエースが2回出れるというメリットもあるが、一日に何試合もやるので体力的に不利にはなるというデメリットもある。
僕が入部すれば2複3単の団体戦にも出場は出来るのだが、何より控えがいないので一人でも欠けたら欠場になってしまうという事。
しかしプラスに考えれば、一年生から団体戦に入れるという事でたくさん試合経験を積むことが出来る。
今まで経験しなかったものをたくさん経験できるというのは自分にとってかなりプラスになると考えていた僕は、その日そのまま顧問の先生に入部の意思を伝えた。
2人
仮入部期間が終わり入部が確定し新入部員は10人で、男子は僕1人だった。
そこへ2年生の男子の先輩が来て、かけられた言葉が思っていたものと違った。
「ずっと男子1人だったから嬉しいよ」
ずっと?
確かにその日は他の3人は練習には来ていなかったが、ずっとという言葉のの意味がよくわからなかったが初めての部活という事で、その日はあまり気にならなかった。
肝心の初練習はというと
とにかくキツい。
練習時間は3時間程だが、ランニングや体力強化のメニューがほとんど。
初心者しかいない1年生は、フットワークという効率的な足の運びを行いやすくする「ための」練習だったり、シャトルをしっかり打てるようになる「ための」練習ばかりで正直楽しくはなかったが、これが部活なんだろうと思い頑張っていた。とはいえ想像の何倍も体力的にキツかった。
唯一の経験者で基礎の基礎はある程度出来ていた為、他の同級生より早くコートで打たせてもらうことになった。
一緒に打つ先輩はほとんど3年生。1年生で背も低かった僕からすればお姉さんたちの練習に混ぜてもらっているような感覚でバドとは全然関係ない所でとても緊張していたが、最初の内はとても可愛がってもらい、先輩たちもとても優しくすごく楽しかった(バドミントンとは関係ない部分だったかも知れない)
男子が明らかに少ないこの部活は、いうなれば女性社会だった。部長や副部長、役職についているのは全て女子で部の雰囲気もかなり女性的だった。
ここで女子の先輩に気に入られるというのはかなり重要なことであり、逆に嫌われるとかなり辛いことを意味する。
試合が近い
試合が近くなり女子たちは団体メンバーが発表されていた。メンバーはもちろん全員2.3年生。1年生がサポートするといういかにも団体戦と言った雰囲気が流れる。
試合前になったら来るかなと思っていた先輩3人はあれから一度も来ない。
男子の団体はどうするんですかと顧問に聞くと
当たり前のように「出れないだろ」と返された。
理由を聞くと、体験入部でいた3人は野球のシニアチームに入っており名前だけ部活に入れているだけらしい。しかも全員が3年生だった。
つまり今部活にいる男子は2年生が1人と1年生が1人の計2人。そりゃ団体戦もでれない。
この時先輩が言っていた意味がようやく分かった。
ショックだったが元はと言えば個人競技がやりたくて始めたようなもの。
個人戦があるのだからいいじゃないかという気持ちにすぐに切り替えられた。
シングルスもダブルスもエントリーできるのだが、2年生の先輩は中学始めだった事と男子がいないことからダブルスの経験がなく僕もやったことがなかったので、それぞれシングルスという形で新人戦には出ることになった。
気まずさ
当たり前だが試合が近くになると練習メニューもより実践的なものになっていく。試合に近い練習や、ダブルスの合わせなど。必然的に3面あるコートを試合に出るメンバーが占領するのだ。
基礎的な練習はほどほどにノックやパターン練習、オールロングにオールショート、2対1のゲーム練習。きっとこれを読んでいる人は何のことだかわからないと思う。でも、それくらいTHE・練習というメニューになった。申告すれば個人戦に出ることも可能だが、試合に出る人に合わせた練習や先輩の雰囲気からか初心者しかいない1年女子は誰も大会には出なかった。
アップが終わり基礎をやったらコートから出され試合メンバーがコートを使う。
その間は外で基礎の練習、ゲーム練習があれば各コートに主審と線審で入る。
試合の日は負けたチームが次の試合の審判をやるというのが一般的で、なおかつ試合に出ていない人が代わりにやってあげるというのもあったので審判の練習もかねて入っていたのだと思う。
しかし、その中に同学年の僕がいたことがあまりおもしろくない子もちらほら居たのも僕自身感じていた。
女子の発言力が強い部活だったために、1年生の中でも男子(僕)より女子の方が立場が上に感じることも少なくなかったが、この初めての試合の時期で身をもって感じることになる。
周り
初めての試合が終わった。僕の成績は4回戦敗退。ブロックベスト8と言うらしい。言い方はかっこいいが要するに都大会にも出場することが出来なかった。
先輩は二回戦で負けてしまったが最後まで残ってサポートをしてくれた。
女子の団体は1か2回戦負け(記憶が定かでありません))だったが、個人シングルで一人だけ「エンドウ先輩」という三年生の先輩が都大会出場を決めたらしい。創部5年のこの部活では正直僕のブロックベスト8と言うのでも凄いことだったみたいだが、都大会に出場するというのは顧問が夢にまで見た様な快挙だったらしい。
次の日の全校朝会でその先輩と一緒に舞台上で表彰された。人生で初めて表彰されてとても嬉しかったが、いかんせん都大会に出れた先輩と出れなかった僕には雲泥の差がある中、同じ舞台で表彰されるのは少しだけ恥ずかしかった。それと同時に次はもっと頑張ろうというモチベーションにもなったのを覚えている。
その日の部活で、最初に試合の総括があり僕と先輩は少し褒められ、みんなエンドウ先輩を見習うようにと言う話の後すぐに団体戦の反省になった。もう少し褒められたかったが先輩の方がすごいので仕方ないなと思っていた。
だが、もう少し部員がおめでとうムードでもいいのではないかと感じた。それは僕を褒めてくれでは無く、他の三年生があまりエンドウ先輩に声をかけてるように見えなかったから。
確かにエンドウ先輩が同級生とわいわい話しているのは見たことがない気がする。
練習も通常メニューに戻ったがどこか三年生の雰囲気が違うのが気になった。
マイノリティ
先の試合から学ぶことがたくさんあった。
年の近い男子の試合を初めて見た感想として、ガンガン打って攻めまくるという印象だった。
この時自分のプレーがどちらかと言うと女子寄りなんだなという事もわかった。確かに女子が多い部活で女子がメインの練習内容でやってきてしまっている分当たり前のことではあるが、最後勝ちきれなかったのは「点が取れるショット」を持っていなかったことだった。
そこを練習する為、先輩達の中に入る練習でもより男子の動きを意識し自分の為一生懸命頑張っていた。
その日の練習メニューに2対1のオールアタックというものがあった。
内容としては、
時間は3分で、2人の方がダブルスの形でとにかく打ちまくり、1人の方はシングルコートで拾いまくる。
打ち抜くか守り抜くかのシンプルな物で双方の練習になる物。
僕は1の方で、部長・副部長ペアと入った。ある程度向こうがローテーション(ラリー中に前後を入れ替える)がスムーズにいくように回しながら、所々自分が試合で打ちたいものを織り交ぜながらやっていた。
3分経って交代した時に部長から
「女子には無いような球あんま打たないで」と少し強く言われた。
とっさにすいませんと言ったものの自分の練習でもあるので、次の回ではそういった球を減らしてみた。
しかし、そのうちの一球が逆を突くような球になってしまい、先輩が触れなかった時
「もうこっちの練習にならないから一番奥のコートいって!」
と怒鳴られた。
取れないような球取るのが練習だしこっちだって練習したいんですよ!!!
なんてもちろん言えず僕は1コートから奥の3コートへ行くことになった。
体育館には3面のコートがあり、出入り口がある方を手前とし1・2・3と分けられていた。
感覚的には1・2コートは試合に出るようなメンバーとある程度打てる1年生。3コートはまだ試合に出ることより、フットワークやクリア(コート奥からコート奥へ送る高い球)が出来るようになるのが目標の1年生のコートだった。
正直出来るが先輩にやれと言われたからやるしかない。
少し不貞腐れながら球を拾って自分の番で入るとそのコートには2コートにいると「勝手に」思っていたエンドウ先輩が球出ししてくれていることにその時気づいた。
なんでエンドウ先輩がここで球出ししてるんだろう。他に球出せる人なんてこのコートにいないし、もしかして球出ししかしてないんじゃないか。顧問のほかにおじいちゃんとは言え球出せるコーチもいるのになんでだろう。
色々と理解できないことがたくさんあった。
先輩に球出し変わるから向こうのコート戻って大丈夫ですと伝えると「最初からこっちだから大丈夫だよ」と返され、その返事にまた理解できないことが増えた。
そのメニューが終わり休憩をはさみ顧問が次の指示を出す。
正直さっき3コートに行かされたのは部長のその場の指示だし、顧問から戻れって言われるだろう。何なら部長を怒ってくれ!とも思っていた。
しかし僕については何も言われず次のメニューを伝えて解散。
念のため僕はどこに入ればいいか顧問に聞くと
「さっきと同じで。自分だけの練習じゃないんだぞ」
ただそれだけ言われた。
それはそうかもしれないけど、自分の練習にならないからって僕を出した部長はどうなの?
全く納得できなかったが仕方ない。そういうものだ。そう思うしかなかった。
その日はそそくさと帰り支度をして誰よりも先に体育館を出た。つもりだった。
僕より先にエンドウ先輩が歩いていた。普段あいさつ程度でほとんど話したことなかったが我慢できずに今日疑問に思ったことを全部聞いてしまった。
なんで自分の練習しないで球出ししていたのか
なんで何も言わないのか
なんで顧問も対応してくれないのか
なんで僕が我慢しなきゃいけなかったのか
無茶苦茶だし、かなり失礼なものだったが
ほぼほぼ話したことも無い僕に全部説明し、自分がどう思っているかも話してくれた。
出る杭は打たれる
「ちゃんとした練習に入れられないのは仕方ないのかな
まず私はハブられてるからね(笑)」
いわゆる仲間外れにされているという事。言葉を失った。
前に感じた雰囲気はこれだったんだと思ったがあまりに急で何も言えなかった。
きっとあんまり話したこともない一年生にこんな事は話したくなかったと思う。
先輩は笑いながら話せるくらい強くて大人だったのは間違いない。
でも絶対に辛かった時期もあっただろうしその時も辛かったかもしれない。
それでも僕の疑問にちゃんと答えてくれた。
先輩の最初の言葉を聞いて
なんで自分の練習しないで球出ししていたのか
については何となく分かった。
「なんで何にも言わないのかは、言って変わることならまずこんな事は思わないから」
部活内には変なルールがあるらしい。
手前のコートから顧問のお気に入りの子が入っていくというもので、1コートに入れば練習もちゃんとしてるし逐一顧問やコーチからアドバイスがもらえるというもの。
部長達が1コートで自分が2・3コートなのは、顧問が1コートにおいても、何かと理由をつけてみんなで自分を違うコートにする。球出しいないからとか、教えてあげてとか。
まるでみんなが良いと思って出した結論みたいに。これが顧問が対応してくれない理由。
「なんでおかか君が我慢しなくちゃいけなかったのか
それはあの部活に変な立場の優劣があるのもそうだし、
やっぱり出る杭は打ちたくなるんだろうね
1年のくせに、ちょっと打てるからって、大会でいい成績残したからって。
私達の練習であって1年の練習じゃないからって自分勝手な理由で外されちゃったんだと思う。」
きっと先輩も同じことを体験してきたのだろう。
とてもショックで悔しかった。
そんなバドミントンの関係ない理由で練習を制限され、顧問も味方になってくれない。
きっと一回目を付けられた以上前みたいに練習することはできないんだろうと思った。
「今感じてることはきっと三年間付きまとうものだと思う、それは三年生がいなくてなっても顧問が変わらないし同級生が女子ばかりだから」
全部話してくれた後、最初に投げた質問について意外な答えが返ってきた。
「でもなんで自分の練習しないで球出ししてたんですかって言ってたけど
それだけはちょっと違うかな」
最後に先輩が話してくれた2つの話
1・全部自分でどうにでもなる
2・折れたらだめ
凄くかっこよかった。
なんで先輩が強いのかもわかった。
心が強くたくましかったから。
こんな先輩になりたい、たかが部活だがこんな選手になりたいと心から思った。
この2つの話のおかげで僕は心が軽くなったし、まだやってやるという気持ちになれた。
今でもこの2つの話は僕を支える大切なものだ。
これに影響されすぎた僕が後々、部活内でいわゆる邪魔な存在になっていくが全く後悔していない。
どういう経緯で邪魔者扱いされていったのか、それは僕が部長にたいしてこんなことを言った日からだろう。
「じゃあスマッシュ打つまえぐらい、、、、、、、」