スロウトレインが正月に放送される心地よさ【ドラマ感想】
脚本:野木亜紀子、主演:松たか子の時点で既に火力強めなのだが、共演に多部未華子、松坂桃李、星野源、音楽に長岡亮介と完全に火力過多(褒めてます)だったので、個人的に視聴確定だった『スロウトレイン』。
いざ蓋を開けてみると、サスペンスもミステリーも、勝者も敗者もいないホームドラマなのに、生死の冷たさとぬるさでいっぱいいっぱいになるドラマであり、新たな時代の新春ドラマとして極め付けの一作を見たという感動があった。
とにかく要素が多いが故に語る切り口に迷ってしまうが、今回は死と生、冷たさとぬるさという視点で感想を無理やりまとめてみようと思う。
※以下ネタバレを含みます。
※画像引用元は下記掲載。
1.死と冷たさ、ディスコミュニケーションって困るねという
ドラマを通して「ホームドラマだし最後は心穏やかになったけど、なんか所々ひんやりしたなあ〜」と感じていた。
あれこれ考えてみたが、その理由の一つとして生活の隣にある死と生を描いているから、という点を挙げたい。
物語はフリーの編集者として鎌倉を拠点に働く葉子(演:松たか子)、転職を繰り返している都子(演:多部未華子)、保線員の潮(演:松坂桃李)が両親と祖母の23回忌を終えて江ノ電に揺られる中、都子が韓国へ行くと唐突に告げる。
韓国へ行きの理由や目的を説明をしない都子に始まり、目黒(演:井浦新)と結婚に至らなかった本当の理由を話せていない葉子、百目鬼見(演:星野源)と付き合っていることを言えていない潮…と、それぞれがコミュニケーションを怠り、それが故に悩んでしまう。
葉子たちだけでなく、目黒、百目鬼、都子の恋人ユンス(演:チュ・ジョンヒョク)もコミュニケーションを避ける部分がある。都子とユンスの間には言語の壁というのもあり、一筋縄ではいかない。
しかし、葉子たちはコミュニケーションを少しずつ取っていく。
時に衝突もし、傷つけあうものだが、それも一つのコミュニケーションであり、心を通わせていくには避けられない要素だし、何よりそれは生きる者同士の特権だ。
ひっくり返せば死んだ人とはもう話せないし、明日は来るかも分からないということ。そんな世界のどうしようもなさ、冷たさもこのドラマでは丁寧に描く。
葉子たちの両親と祖母は突然亡くなり、もうコミュニケーションを取ることはできない。都子はそんな幼い頃の経験からか、明日どうなるかは分からないという事実に、時折走り出したくなってしまう。
それでも、両親と祖母の葬式の帰りに江ノ電に揺られた幼い3人は、江ノ電の駅を口づさむ。
未来はどうなるか分からないけど、次の駅はそこにあると信じて。釜山にも江ノ電に似たような電車があって、それは世界のどんな人にも。
だからコミュニケーションを取っていこうよ、今を生きる者だし…という時々冷たい死も潜む生活に寄り添うメッセージがあったように思える。
人類讃歌というか、もっと小さいけど確かな生活讃歌みたいな。
2.生と心地良いぬるさ、やっぱりコミュニケーション
死の冷たさと裏腹に、このドラマは心地の良いぬるさがある。
例えば、葉子は客観的に見ても美人で、仕事にやりがいを持っていて、さもしい思いをしていなくて、鎌倉に素敵な家があって、何より本当の意味で孤独ではなくて…所謂“持っている人”に見える。
他方、葉子がマッチングアプリで出会った宇野祥平演じる男性はどうだろう。
多分葉子よりも光の薄い場所にいて、だからこそ葉子が真に孤独ではないことを分かってしまったのだと思う。
葉子のあり方はファンタジーも混じっているし、宇野祥平演じる彼の行方は知れない。現実は多分葉子たちのようにもいかないし、どちらかというと“彼”寄りかも…
それでもドラマの最後はとても穏やかな朝で、私はこれが見たかったと思った。こういうぬるさで満ち溢れてほしかった。
潮と都子がそれぞれ百目鬼とユンスというパートナーを連れて、鎌倉の実家に集う。葉子が編集した本を囲む。性別も国籍も関係なく、愛で繋がった人々が渋谷家流の新年を祝う。
そんな希望の朝を正月に見て、ひょっとしたら良い一年になるかもしれないと思えたことがじんわりと嬉しくて、「これが今の新春ドラマなのだ」と感じ入った。
どうか葉子たちの生活が、私たちの生活がぬるく穏やかに続きますように。
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