吟味とチョイス(断片と枝葉③)
選び取る、という行為が嫌いではない。
嫌いではない、というのは取り立てて好きだとも思っていないからだ。
もし好きだとしたらもっと選び取る機会を増やそうとウインドーショッピングに足を運んだりディスプレイショッピングに指を動かしたりするはずだが、率先してそういうことはしない。
選び取るべきタイミングが訪れた時に必要最低限より多くの時間をかけてしまうのだけど、時間を費やすこと自体は苦にならないから、嫌いではないのだろう、という結論に達した。
何を選び取るかといえば、買う物であったり借りる物であったりしたが、多くの場合は観たり聴いたり読んだりする鑑賞物だった。
大学時代は、と切り出せばそれはもう断片と枝葉のくだりである。
吉祥寺駅近くにあった今はもう影も形も欠片もないレンタルビデオ店に夜な夜な通っていて、コアな品揃えの中から古そうだけど実際はそこまで古くない洋画作品を借りるべくたっぷり一時間以上も吟味したものだった。よく借りる棚に並べられている作品はあらかた覚えてしまっていたけど、それでも借りたDVDを返しに行っては見慣れた棚を眺め回すことに没頭した。
必ずしも優柔不断というわけではなく、その日その時の自分の気分に合ったチョイスをしたいのだ。平常時の自分が好む傾向にある物はいつでも選べるけど、その日その時だからこそ選びうる物はひょっとしたらその時しか選ばないかもしれない。その時々の"アヤ"のような偶然性に左右されるから人生は楽しいのだ、とレンタルビデオ店や書店に行くたびに思わせられるような気がして、なんならそれが好きで時間をかけてきたような節もある。
細かいところに触れるなら、数による"アヤ"も生じる。
たとえばCDを10枚しか借りれない制限があるとすると、上述したように平常時の自分が好む王道ジャンル一色で10枚ロイヤルストレートフラッシュに選び切ることはなく、10枚の幅があるからこそ彩りやアクセントをもたらす変化球の入り混じるというか織り交ぜる。後から振り返って、「何でこんなに変わり種が入ってるのか」と思うことも多々あるけど、そのチョイスこそがその日その時のキュレーションであり自分の人間的理性と動物的本能、ひっくるめて"感性"が如実に発露した結果なのだ。
決していい買い物がしたいのではなく、その日の"最適解"を導き出したいだけ。そして、「その日の最適解」は往々にして「2日後の最適解」にはなりにくいよね、という話。
いい買い物がしたかったわけではないから、後悔の念はそうそう抱かない。
1時間以上もかけといて、後悔などあってたまるものか。
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