ミスiD2020を受けた理由
え?って言われそうなんだけど、ダメもとでミスiDを受けた。
微力だろうと気休めだろうと自分にはやりたいと思っていることがあるから、そのためだったらなんだってしようと思ってる。とか言ってもよくわからんし、言い訳みたいだし、ちゃんと話すわ。
(ミスiDってなんやねんと思うひとはミスiDのホームページを見てくれ。そしてちゃんと私のこのページに戻ってきて欲しい。http://miss-id.jp/about )
私は今24歳で、これから話すことは昔話になるけれど、10代のころはなかなかしんどい時間を過ごしてた。10代って割とみんながそういう時期だろうとは思うんだけど、自分の場合は実家がどうしても体に合わなくて、まあ正直虐待みたいなこととか差別とかも空気みたいにたくさんあったし、毎日息ができないほど苦しかったのね。自分でそれを打開する力もなく、ただ勝手に傷ついていくばかりだった。
あまり自分を閉じ込めると大変なことになるもんで、感情が欠損して一切泣けなくなったり、声が出にくくなったり、大きく体を壊すこともあったりしたんだ。元気を取り戻すのはほんと大変だったよ。
しんどい時、私にとっての救いだったり気休めだったのが写真だった。言葉より写真が上手で、自分を表現できるのが写真しかなかったんよ。母のデジタルカメラを借りて毎日学校や街中で写真を撮るようになったのが15歳。9年くらい前のことになる。
自分で自分を見るように、自分の鏡を見るように、よくセルフポートレイトを撮っていた。(ちなみにこの記事には今までのセルフポートレイトだけ載せますね)
こういう風に自分が写真を扱ってるのって、今まで私が知ってる写真のあり方と違ってて、よくわからなかったけど、やめることもできなかった。苦しいしどうしようもなくさみしいし、あんまりしんどいと自分で自分を殺しちゃいそうだし、あるいは家族を殺したりしてしまいそうで、撮ることでしか自分を保てなかった。
普通写真って言ったら、集合写真とか、冠婚葬祭とか節目の時に撮るもの、旅行の時に撮るものとかそれくらいしか知らなかったし、自分で自分を撮ってるけどいわゆる自撮りとはちがうし、なんなんだみたいには思ってた。
でもずっと撮ってると、ギャラリーとかいろんな写真家を知ることも増えてくる訳で、その中で表現するための写真ってあるんだなと気づいた。そして、写真の世界って何しても許されるなって思ったの。明るく元気な女の子が求められる世界の中で、自分が病んだりしてても許されるのが写真の世界だった。
その時からずっとずっと撮り続けて今になる。
19才の時、約一年間ブライダルカメラマンをやっていた。そこで求められるのは、幸福のテンプレートを写すことで、自分の意志とか着眼点を無視する必要があった。その写真のあり方が辛く、写真に対して誠実にあれないことが苦しくて疲弊したので、私はもう2度とあの仕事をしない。唯一、技術がついたのはとってもよかったことだ。
ずっと自分を撮り続けて、ネットにもアップし続けていたら「撮って欲しい」と声をかけてくれる人が出てくるようになった。
日常を撮るのが一番好きだけど、撮影を目的にして人と会うことが増え、今や写真が生活になっている。
たくさんの人を撮る中で、自分が撮ることで救われていたように、私に撮られた相手が救われているんじゃないかと思うことが増えてきた。傲慢かもしれないけど、撮ることで写った人が救われるってことが確信に変わってきた。
一般人もアーティストも関係なく撮ってると「なんでアーティストばかり撮らないの?と言われるし、特に表立った活動をしていない人が撮られていたら「一体何を目指しているの?」と言われることが多い。私に撮られてる人もちょくちょくそういうことを言われてるのを見かける。
まあこんなあり方で写真を撮るなんて変だし、そういう質問が罵倒が飛び交うのもあるだろうとは思うんだけど、撮影に関わった人は、一見目的のない撮影にも意味があることはみんなわかっているはず。
私が五千円という価格でたくさんの人を撮り続けているのは、人のどうしようもない気持ちとか、どうしようもなくなった時に表現する術を持たない人に寄り添いたいから。日常的に頼めるものでないと、10代の人も参加できないと意味がないからギリギリの値段でやっている。
まとめると、人のどうしようもないきもちに写真で寄り添いたいのと、そういう文化や価値観が広がればいいなと思っていること、以上がミスiDを受けた理由であり、自分の人生の目標の一つです。
この記事をここまで読んでくれた人へ、欲を言うなら今後も私を見守っていてくれたら嬉しいです。
人生をかけて、あなたとわたしのために撮り続けます。