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パンドラの箱が自然と開いてしまう時代

私たちは、風通しのいい時代を生き始めました。それは今まで頑なに見ないことにしていた「陰」の部分に光が当たり、私たちの全容を露わにするほどの力をもっています。誰もが抱えているパンドラの箱は自然と開いてしまい、仕舞っていた感覚や感情が現実世界で現象化していくことも増えていくのかもしれません。「陰」の部分には、私たちが生き抜いてくるなかで感じていた恐れや不安、恥や罪悪感、無価値観、承認欲求、虚無感など、さまざまな醜い自分が隠されています。醜い自分・・・Ugly me。余談ですが、英語にすると深刻さが減って可愛いのでアグリーミーと私はよく呼んでいます(笑)

世界中で起きているあらゆる事象に関しては、私たちは決して無関係ではありません。必ずつながり合い、影響をし合っています。私たちの恐れや不安があり、それに突き動かされてきた時代があったから、あらゆる社会構造や通例などを作ってきたのです。加害者がいなければ被害者がいないように、被害者がいなければ加害者は生まれません。私たちの深層無意識では、常に何かの被害者を演じ続けてきたのかもしれません。もしくは加害者であるという認識の自分を非難し続け、許さずに生きてきたのかもしれません。その二元的な視点に立つ限り、私たちはどちらかであり続けます。

パンドラの箱が自然と開くようになり、私たちが内なる「陰」に気づきやすくなった今、私たちはそれらを統合することができるのだ、ということを思い出していくタイミングだと感じています。どちらかの役割を演じて戦い続けるのではなく、内なる戦いの源泉となっていた「陰」の存在に気づき、観察していく。なぜ、いつから、その「陰」を私たちの人生の生き抜くための手段として持ち続けてきたのか。その過程で痛みが生じたとしても、私たちは目をさらさず、率直に本心に向き合っていくときなのだと感じます。

「パンドラの箱」というと大袈裟に感じますが、その影響は日常の些細なところで現れます。あなたが最近、イライラしたことは何ですか?あなたが嫌いだなと感じる人はどんな人ですか?あなたが回避したいと感じる場は、どんなところですか?もしくは、ただ目まぐるしく生きる現実に振り回されているのでしょうか?私たちは、自分自身が安心安全に生き抜くために、戦うか、逃げるか、という手法を用いています。けれど、じつはそれ以外の方法があるとしたら。私たちはそれ以外の手法に意識を向けるときがきました。内なる「陰」を観察することでのみ、その先に進むことができます。いま、何かしら現実にツラいと感じているとしたら、そのツラいという感覚・感情が必ず人生の強力な道標になってくれます。また自分が醜いと思う自分を認めることはとても勇気がいることかもしれません。けれど、気づきが深まれば深まるほど、私たちの世界は愛に溢れていたということにようやく気づくことができるのです。その一歩をそろそろ共に始めてみませんか。

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私たちも共にその変容を歩むものとしてQUANTAでは、自己変容をファシリテートさせていただくことにしました。日常を観察、だなんて地味だと感じるでしょうか。けれど、私たちが現実を変容させていくとき、何より大事なのが日常になります。日常にある、あらゆる選択、行動。そしてそこに潜む意識が要となり、無限の可能性を秘めた世界線を創造していきます。あなたは何を創造したくて地球に生まれたのでしょうか。あなたはどんな陰を抱え、それらにブレーキをかけているのでしょうか。共に創造する仲間として、精神の世界での変容を現実の変容へと確実に繋げるために、受容から能動への転換をサポートします。


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やまさきまりこ / 山﨑 真理子
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