目に見えない有機的な居場所
2011年の冬、心身共にやつれていた私は療養のために旅に出た。友人が住む、フランス領ポリネシアにあるボラボラ島へ。現地で子育てをする友人と共に保育園を訪れたり、地元の人たちと食事をとったり、日本とはまったく異なる生活習慣のなかで繰り広げられる、普遍的な日常に触れて過ごした。
日本における「当たり前」が大した意味をもたないような土地。「家」と「外」の境というものが曖昧で、ドア、トイレやシャワーの仕切りなどもあるようなないような空間。境界線がとても曖昧な土地では、子育ては近所のコミュニティがみんなで担っていた。誰かしらに見守られ、誰かと共に食事をして、緩やかに繋がり、日々が育まれていた。
本来、私たちの精神は、同じように互いに常にエネルギーの交換をし合いながら緩やかに繋がりながら育まれている。環境や人、すべてに影響し合いながら生きている。いつの日から私たちはお互いの「境界」というものをくっきりと区別し、所有という概念を重んじるようになったのだろう。そしていつのまに寛容さを手放してしまったのだろう。
*
例に漏れず、話が逸れました。逸れたついでに、さらに余談。
ディズニー映画『モアナと伝説の海』の主人公モアナが住むモトゥヌイ島のモデルとなったのが、ボラボラ島。ツバル語なのか、ポリネシア諸語で歌われる挿入歌を聴くと、これまた遠い遠い転生記憶が刺激されるようで胸アツで全身が音にノってしまいます。MOTOKOさんも同じような記憶や感覚があるようで以前はどこかの部族で共に歌って踊ってしていたのかもしれません(笑)。
*
ボラボラで過ごした日々から7〜8年経ち、私は「有機的に緩やかに繋がるコミュニティ」という在り方に興味をもつようになっていました。2018年よりアーティスト/クリエイター・マネージメント事業を始めることになり、その気持ちはより大きくなっていたような気もします。ティール組織のように、それぞれが自由に進化や変容を進みながら、緩やかに繋がる組織全体が自然と進化している。そんな会社組織なのか、国なのか、コミュニティなのか、場があれば誰もが生きやすいのではないかな、と。
そんなことを感じていたとき、私は「東京オペラシティ アートギャラリー」で行われていた写真家・石川直樹さんの展覧会『この星の光の地図を写す』へ訪れました。詳しいことは以前、共同主宰していたウェブマガジン『memorandom』の『RANDOM MUSEUM 005 山﨑真理子』にて綴っていますが、石川直樹さんの作品横に貼られていた説明パネルを読んだとき、あぁ、そういうことか、と理想の在り方について理解を深めるのです。
*
それから2年後『holos.QUANTA』というオンラインコミューンを立ち上げた。イメージするのはそれぞれが適切な距離感を保ちつつ、自分自身に繋がっていくことで、自立・自律した自身の在り方を探求する。そしてありのままの自分と共にある状態で、お互いを尊重し合い、そして緩やかに有機的なネットワークで繋がる場(詳細は『holos.QUANTAで大切にしたい8つのこと』にも記載)。
まさに新時代の風の国、「見えない大陸」でした。
そこから渋谷区・松濤に小さなスタジオを構えてみたり、コミューン内でのメディアとしての機能を増やしてみたり、週一の筋トレ企画を始めてみたり、タロットやヴァーチューズカードを引く定例企画が生まれたり、さまざまな紆余曲折を重ねながらも、現在では渋谷区・神宮前にあるQUANTAの拠点を2023年9月より『holos.QUANTA』のメンバー&曜日限定で共有できるようになりました。
当時、思い描いていたような目に見えない有機的な居場所として、いつか誰もがちょっと立ち寄ってみたいと感じるような、緩やかに繋がっていたいと感じるような、そんな場所になれたら、と。最近「holos.Q」内において、メンバー主導の楽しい企画が増えてきていることに感慨深さと喜びが込み上げてくるので、今日は理想の有機的な居場所というテーマで綴ってみました。