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病気との出会い

これから書いていく投稿は、1人の少女との記録。メッセージを通して文字だけの往復ではあるが、そこには計り知れない程の想いが詰まっていた。
だからこそ、声を届けよう。声にならない声を届けようと思い、筆を取るに至ったのである。

ある時、メッセージの内容が少女自身の病気の話になった。産まれる前からある病気の疑いがあったそうだが、産まれてすぐにある病気であると診断が下る。そして生後3ヵ月。次の病との出会いが待っていた。

結論から言ってしまうが、物心付く前から既に病気とは出会っていたことになる。そのような事実に耐えられるか?私なら、と考えてみたこともあるが到底耐えられそうにないな。と思ったのをいまでも記憶している。これを読んでいる読者の方はどうだろうか?もしかしたら、産まれた時は大変だったなんて話を聞いたことがある人もいるのかも知れない。

この世に産まれた命の重みは等しく同じ。恐らくそのような想いで産まれたばかりの少女は医師や看護師達の懸命な処置、対応によって一命を取り留める事になる。

『ほんとにね、この病院で産まれてなかったら死んでたよね。生まれた時に。』

これはその少女の言葉。産まれた場所が、産まれた時代が、現代の今の病院でなかったら。恐らく筆者である私とも出会うことは無く、命を落とす結果になっていたかもしれない。可能性の話なので検証する事も出来ないし、検証するつもりも毛頭無い。先程の少女の言葉は文字のやり取りの中でも何度か聞く事になる言葉。初めてこの言葉を聞いた私は少々の真の言葉の意味に気付いていなかったのかもしれない。それこそ額面通りに受け取っていたのだろうと思う。

『この病院で良かったと思えるよ。』


少女との文字のやり取りで病院に対する、医師に対する、看護師に対する感謝の想いが伝わってくる。少女と病気との出会いはこれで終わりではない。また新たな病気と少女は出会うことになる。

それはまた時が来れば、許可が降りれば書くことになるのかも知れないし、書かないのかも知れない。

今も病気と闘い続けている少女に
エールを贈ろう




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