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92番・東南植物楽園線の歴史を調べてみた

沖縄市にある東南植物楽園は、1968年に開園した植物園である。2024年12月現在は、一般の路線バスは乗り入れておらず定期観光バスのみが発着しているが、1984年から約20年間ほど、東陽バスにより園内を終点とする「92番・東南植物楽園線」というバス路線が運行されていた。


92番・東南植物楽園線の運行開始は1984年

92番・東南植物楽園線の運行開始は、1984年4月14日のことである。1日12本が運行された。

東陽バス(祖堅方正社長)は14日から沖縄市内、泡瀬-東南植物楽園停留所間の定期路線バスを運行するが、その開通式が13日午後3時から東南植物楽園停留所で行われた。
 (中略)
同路線は同バス泡瀬停留所がある古謝を起点に、コザ十字路を経て同植物楽園まで10キロの距離。1日、およそ1時間おきに12便を運行する。

バス路線が開通/泡瀬⇔東南植物楽園(1984年4月14日 沖縄タイムス)

第二泡瀬(当時の東陽バス泡瀬出張所前に設置されていたバス停であり、現在の泡瀬二区バス停)を起点とし、コザ、知花を経由して、東南植物楽園へ至るルートであった。
運行ルートを以下に示す。

運行開始当初の92番・東南植物楽園線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

運行開始時の新聞記事では、『東陽バスが数年前から路線バスの乗り入れを申請』とあり、東陽バスが積極的に運行を望んでいたような書きぶりであるが、路線認可の前提となる市道(植物楽園入口~東南植物楽園)の拡幅工事の実施や、開通式に沖縄市長のほか、市議会議長も出席しているという点を踏まえると、沖縄市が路線の開設を要望していた可能性も高そうである。

桑江朝幸市長や比嘉久富議長ら関係者多数が出席、"市内線"の誕生を祝った。
東南植物楽園には年間、約120万人の観光客が訪れる。東陽バスが数年前から路線バスの乗り入れを申請していたが、国道から同園に通ずる市道が狭いため路線バスの運行は認可されなかった。沖縄市が昨年から市道の拡幅工事を行い、完成したため、新しい路線が認可された。

バス路線が開通/泡瀬⇔東南植物楽園(1984年4月14日 沖縄タイムス)

なお、92番・東南植物楽園の運行開始に伴い、ルートが重複する既存の57番・美東線は、重複する区間(第二泡瀬~コザ~知花)が廃止され、大幅に路線を短縮した。

コザ高校経由からコザ中学校経由に変更

前述の通り1日12本で運行を開始した92番・東南植物楽園線であったが、翌年の1985年3月末時点$${^1}$$で11本/日に減便され、その2年後の1987年3月末$${^2}$$時点で、運行開始当初の半分である1日6本にまで半減されている。
想定よりも少なかった利用者数を増やすためか、1989年4月$${^3}$$~1993年3月$${^4}$$の間に、コザ高校経由からコザ中学校前を経由するルートに変更された。
変更後の運行ルートを以下に示す。

経路変更後の92番・東南植物楽園線の運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

高原~コザ中学校前の間は、初めて路線バスが走ることとなり、新たに、高原団地入口、徳洲会病院前、室川入口の3つのバス停が新設された(コザ中学校前は、1993年2月28日まで那覇交通の102番・空港こどもの国線が停車)。
また運行本数も微増し、1日8本の運行となった。

県総合運動公園・渡口経由が新設

1997年4月$${^5}$$~1998年3月$${^6}$$の間には、さらなる利用者増加を目的としてか、県総合運動公園前、渡口を経由する系統が新設された。
運行ルートを以下に示す。

92番・東南植物楽園線の運行ルート(本線と渡口経由)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

泡瀬二区を出発し大里入口を経由した後に、胡屋方面へは向かわず県総合運動公園方面へ南下し、北中城高校前、渡口を経由した後に北上し、高原からは本線に合流して、東南植物楽園へ向かうルートであった。
廃止直前の2001年3月時点$${^7}$$では、1日7本の運行本数のうち、東南植物楽園行きは3本/日、泡瀬二区行きは1本/日が渡口経由であった。なお、運行時間帯を鑑みると、県総合運動公園への利用者というよりは、胡屋方面から北中城高校への通学輸送を目的として設置された可能性が高い。

なお延伸区間のうち、高原~県総合運動公園北口~渡口の区間は30番・泡瀬東線、美津呂前~県総合運動公園前~渡口の区間は58番・県総合運動公園線が運行されていたため、新規に開拓された区間ではなかった。

2004年に美東線と共に廃止

2度の経路変更や経路新設が実施されているが、2001年4月には廃止対象路線として名が挙がっている。

バスなどの⽣活路線の確保について、県が中⼼となって国や市町村、事業者らが話し合う第⼆回県⽣活交通確保協議会が26⽇、県庁で開かれ、離島を含むバス会社7社から廃⽌や路線の変更を検討している37路線が⽰された。
 (中略)
バス会社が廃⽌や路線の変更を検討しているのは次の通り。かっこ内数字は系統番号。
 (中略)
▽東陽バス 泡瀬東線(30)美東線(57)県総合運動公園線(58)東南植物楽園線(92)新垣線(59)城間線(⼤名経由、60)

県内バス37路線の廃⽌・変更を検討(2001年4月27日 琉球新報)
太字は筆者によるもの

この際に、同じく名指しされた57番・美東線については、住民からの廃止反対の意見が挙がっている$${^8}$$が、92番・東南植物楽園線については、そのような新聞記事が見つけきれていないことから、地域住民にとっても、あまり必要性が無い路線であった可能性が高い。

廃止予定に挙がってから約3年後の2004年2月1日をもって廃止された。なお、同日をもって57番・美東線も廃止されている。

沖縄総合事務局は26日、東陽バス(祖堅信夫社長)が57番美東線と92番東南植物楽園線の2月2日からの廃止を届け出たと発表した。

東陽バス2路線廃止/来月から同時に2路線新設(2004年1月27日 沖縄タイムス)

92番・東南植物楽園線の単独運行区間のうち、高原~コザ中学校前~胡屋の区間は、翌日より運行を開始した60番・泡瀬循環線に引き継がれたが、泡瀬~大里入口~高原、植物楽園入口~東南植物楽園の区間は、どの路線にも引き継がれることなく完全に撤退となった。

琉球バスも東南植物楽園への路線バスを運行?

余談になるが、かつて琉球バスも東南植物楽園へのバス路線を運行していた可能性がある。「可能性がある」というあいまいな書き方なのは、各年の業務概況をみても見当たらないが、下記のX(旧Twitter)での投稿写真により、方向幕が作成されていたことは確認できるためである。

かなり見えづらいが、「95」という数字の右側に「東南植物楽園」と縦書きで書かれている。また書かれている経由地から推察すると、那覇バスターミナルを起点とし、途中の知花までは、63番・謝苅線(当時は美里小学校前経由・嘉手納バスターミナル発着)の運行ルート、知花から先は92番・東南植物楽園線と同じルートだったようだ。

琉球バスが運行していた95番・東南植物楽園線の想定される運行ルート
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors

運行されていた時期であるが、系統番号95番が欠番だった時期は、95番・豊見城団地線(那覇交通)が廃止となった翌日の1983年1月6日から、95番・豊見城南高校線(那覇交通)の運行が開始された前日の1987年4月5日の、約4年間のみである。
加えて冒頭の新聞記事より、92番・東南植物楽園線よりは後の運行であると思われることから、1984年4月15日以降の運行開始であろう。
しかも、前述のように各年の業務概況には記載がないことから、もし運行されていた場合は、1984年4月15日~1987年4月5日の間に1年未満のみ運行された、非常に短命な路線であったと考えられる。

脚注

  1. 昭和59年度 業務概況(1985年9月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.29

  2. 昭和62年度 業務概況(1987年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.29

  3. 平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.28

  4. 平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.28

  5. 平成8年度 業務概況(1996年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25

  6. 平成8年度 業務概況(1996年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.25

  7. バス運行時刻表(2001年3月 沖縄県バス協会発行)

  8. 住民、2路線存続訴える/東陽バス、泡瀬東線と美東線/具志川市(2001年7月17日 沖縄タイムス)

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