昔の沖縄の路線バス

昔の沖縄本島の路線バスに関する資料がたくさん出てきたので整理中です。 https://…

昔の沖縄の路線バス

昔の沖縄本島の路線バスに関する資料がたくさん出てきたので整理中です。 https://twitter.com/bus_okinawa

最近の記事

94番・中部循環線の歴史を調べてみた

北谷町にある県立北谷高校は1976年4月に開校した高校である。 2024年7月現在は、75番・石川北谷線、112番・国体道路線が高校の近くを走っているが、かつてはもう1路線、北谷高校の登下校需要に特化した94番・中部循環線というバス路線が運行されていた。 開校と同時に運行開始北谷高校の開校と同時に通学用の路線バスが琉球バスによって運行を開始している。当時の新聞記事を以下に示す。 上記の記事によると、この時点では暫定運行という扱いだったようで、かつ書いてあることをそのまま受

    • 久茂地バス停の立地は730の名残?

      那覇市にある久茂地バス停は、那覇バスの市内線のみが停車するバス停である。このバス停の不思議なところは、バス停を出発後に3車線を跨ぐ車線変更が必須となる県庁向けにしか設置されていない点である。 これは730の名残ではないかと思っているのだが、調べてみても決定的な確証が見つけきれておらず、記事にせずに保留にしていた。ただ、いっこうに確証が得られないため、730にちなんで本日7月30日に、仮説ではあるが投稿する。 久茂地バス停の立地まずは久茂地バス停の位置を以下に示す。 国道58

      • 48番・石川読谷線の歴史を調べてみた

        沖縄県読谷村とうるま市石川を結ぶ48番・石川読谷線は、2000年以降たびたび廃止の危機にありつつも、2024年7月現在も運行されている沖縄バスの路線である。 典型的なローカル線であるが、かつては那覇バスの前身である那覇交通も運行しており、それなりの需要があったバス路線だったようだ。 沖縄バスは会社設立時から運行『61番・前原線の歴史を調べてみた』でも紹介した、沖縄バス設立当初のものと思われるバス路線図$${^1}$$には「読谷石川線」という路線の記述がある。この路線図は、免

        • 屋慶名バスターミナルの歴史

          屋慶名バスターミナルとは、うるま市に設置されている沖縄バスのバスターミナルである。 所在するうるま市は、2005年4月1日に具志川市、石川市、与那城町、勝連町が合併して誕生した市であるが、屋慶名バスターミナルは、このうち旧・与那城町に位置した。旧市町村名が由来であった久志バスターミナルのことを考えると、与那城バスターミナルでもよさそうだが、なぜか字名である「屋慶名」が採用されている。 現在の屋慶名バスターミナルは3代目先に書くと、現在の屋慶名バスターミナルは3代目である。移

        94番・中部循環線の歴史を調べてみた

          かつて運行されていた空港ホテル連絡バス

          かつて那覇市内を走る「空港ホテル連絡バス」というバス路線が存在した。 路線名からもわかるように、那覇空港と那覇市内の主要ホテルを結んでいたバス路線であった。 那覇バスにより、西エリア系統と東エリア系統の2系統が運行されており、19番という系統番号も割り振られていたので、市やホテルから委託された実証実験路線ではなかったと思われるが、利用不振のためか、西エリア系統は1年4ヶ月で、東エリア系統に至っては7ヶ月で廃止されてしまった。 西エリア系統運行ルート 西エリア系統は、那覇空

          かつて運行されていた空港ホテル連絡バス

          63番・謝苅線の歴史を調べてみた

          63番・謝苅線の運行ルート上に位置する北谷町の謝苅地区(字吉原)は、戦後も米軍基地として収容されなかったことから、役場が立地し、住宅街が形成されるなど、北谷町の中心部として栄えた地区である。 それゆえに路線バスの運行も早く、63番・謝苅線は、1950年代前半には運行を開始している。 1953年12月に運行開始謝苅線の運行開始は1953年12月1日のことである$${^1}$$。 2024年7月現在の63番・謝苅線は、那覇バスターミナルが起点、具志川バスターミナルが終点であるが

          63番・謝苅線の歴史を調べてみた

          89番・糸満線の航空隊経由の歴史を調べてみた

          89番・糸満線には、メインである「那覇西高校経由」のほかに「航空隊経由」が設定されている。「航空隊」とは、那覇空港に隣接して拠点を置く航空自衛隊那覇基地のことである。 この航空隊経由は、2024年7月現在では1日2本のみとかなり少ないが、かつてはメインの系統であり、1日70本近く運行されていた時期もあった。 航空隊経由のルートは米軍基地内であった航空隊経由のルート上には、米軍の「那覇空軍・海軍補助施設」が立地しており、大半のエリアは本土復帰直後の1972年5月15日時点でも

          89番・糸満線の航空隊経由の歴史を調べてみた

          泡瀬には無い東陽バス泡瀬営業所

          東陽バスの泡瀬営業所は、同社の中部における拠点となるバス営業所である。泡瀬営業所と名乗るぐらいなので、沖縄市泡瀬にあるのだろうと普通は思うが、所在地は「泡瀬」どころか「沖縄市」でもなく、「うるま市前原」である。 このような住所とは異なる名称を営業所名に採用する事例は、豊見城村名嘉地に立地しながら、那覇市の地名を名乗る小禄営業所(那覇交通)でもみられた。 ただ、豊見城村名嘉地と那覇市小禄は隣通りの地区である一方で、うるま市前原と沖縄市泡瀬は隣接しておらず、間に「沖縄市古謝」「

          泡瀬には無い東陽バス泡瀬営業所

          41番・つきしろの街線の歴史を調べてみた

          「つきしろの街」とは、ディベロッパーであった沖縄大京観光株式会社(現・株式会社大京の沖縄支店)によって、佐敷町、知念村、玉城村(現在は合併して南城市)にまたがるエリアに造成された住宅街である。 1976年より入居が開始され、翌1977年からは、佐敷小学校・中学校への通学用スクールバスが、造成主である沖縄大京観光により運行を開始している$${^1}$$が、その2年後には那覇方面への一般路線バスも乗り入れを開始した。 1979年9月に路線バスが乗り入れ開始つきしろの街へ乗り入れ

          41番・つきしろの街線の歴史を調べてみた

          今は無き「企業名が付与されたバス停」

          沖縄本島のバス停では、2022年7月よりネーミングライツ制度が開始されている。 この制度導入に伴い、今後は企業名であるバス停が増加していくことが想定されるが、1977年当時の路線図$${^1}$$を見てみると、今以上に企業名が付与されていたバス停が多くみられる。当時はネーミングライツ制度は無かったであろうから、目印代わりになるものとして企業名が付与されたのだろう。 ただ、この当時から会社の移転等により現状にそぐわない名称があったようで、1978年ごろにその多くが地名由来のバ

          今は無き「企業名が付与されたバス停」

          名護バスターミナルの歴史

          名護バスターミナルは、琉球バス交通と沖縄バスが営業所を置き、沖縄本島北部の路線バスの拠点となるバスターミナルである。 初代バスターミナルは、1959年に開設されたが、その後に2度移転しており、現在は3代目バスターミナルである。 初代名護バスターミナルは1959年8月に開設初代名護バスターミナルの開設は1959年(昭和34年)8月26日のことである。当時、名護市内に営業所を設置していた昭和バス(琉球バスの前々身)と沖縄バスの2社によって設置された。 初代バスターミナルが設置

          名護バスターミナルの歴史

          かつて2社が運行していた名護東線

          那覇市と名護市を結ぶ路線バスは、沖縄自動車道経由の111番・高速バスと、西海岸の一般道経由の20番・名護西線、120番・名護西空港線のほか、東海岸の一般道経由の77番・名護東線が存在する。 このうち東海岸経由の名護東線は、かつて琉球バスと沖縄バスの2社が別系統で運行していた時代があった。 琉球バスと沖縄バスが運行繰り返しになるが、那覇市と名護市を東海岸経由で結ぶ名護東線は、琉球バスと沖縄バスが運行していた。厳密には、沖縄バスは2024年6月現在も運行中である。同じ路線名では

          かつて2社が運行していた名護東線

          初代・東陽バスの会社設立はいつ?

          2024年6月現在の東陽バスは、2代目・東陽バスであり、2012年5月18日設立である$${^1}$$。 これに対して前身となる初代・東陽バスの設立日は、東陽バスの本社の変遷を紹介する記事では「1951年6月1日設立」とされた資料を引用していたが、実は別日が設立日とされている資料が幾つかある。 設立日の候補は3ついろんな資料を見ていくと、以下の3つが会社設立日の候補である。 1951年6月1日 1951年8月7日 1951年9月28日 いずれも1951年ということに

          初代・東陽バスの会社設立はいつ?

          105番・糸満(南部病院)線の歴史を調べてみた

          沖縄県立南部病院は、1982年4月1日に沖縄県糸満市真栄里に開院した県立病院である。2006年4月1日からは民間に譲渡され、社会医療法人友愛会南部病院となったのちに、2020年8月3日に豊見城市に移転し、2024年6月現在は豊見城中央病院となっている。 約40年間もの間、糸満市真栄里に存在した総合病院であるが、県立南部病院時代に、約10年間ほど路線バスが乗り入れた時期が存在した。乗り入れていたのは、琉球バスが運行していた105番・糸満(南部循環線)線である。 開院1年以内に

          105番・糸満(南部病院)線の歴史を調べてみた

          移転を繰り返した那覇交通の本社

          那覇バスの前身である那覇交通は、那覇市西に本社を置いていたが、この本社は1976年からの使用であり、6代目の本社である。 創業時の初代から6代目に至るまでの、那覇交通の本社の移転の歴史を調べてみた。 4年で3回移転した本社公営バスを前身とした沖縄バスや、沖縄協同バスを前身とした琉球バスや東陽バスは、前身の事業者から土地や建物を引き継いで誕生したが、那覇交通は前身の事業者が存在せず、初代社長である宮城善兵氏がゼロから設立したバス会社である。そのため、規模の拡大に合わせて営業用

          移転を繰り返した那覇交通の本社

          120番・空港リゾート西線の歴史を調べてみた

          那覇空港と名護バスターミナルを結ぶバス路線は、高速道路経由の111番/117番・高速バスのほかに、一般道路経由の120番・名護西空港線が存在する。このうち後者は、那覇空港から国道58号沿いの各バス停に停車しながら、名護に向けて北上していくが、かつて起終点は同じながら、途中のリゾートホテルの最寄りバス停を中心に停車する「120番・空港リゾート西線」というバス路線が運行されていた。 1992年に運行開始120番・空港リゾート西線の運行開始は、1992年8月のことである$${^1

          120番・空港リゾート西線の歴史を調べてみた