
東陽バス与那原営業所の歴史を調べてみた
下記の記事でも書いたが、東陽バスは、沖縄協同バスの与那原出張所(営業所)が独立して設立された会社である。そんな東陽バスの起源となる与那原営業所について調べてみた。
初代与那原営業所は現在は整備工場
1968年~1970年頃の琉球政府の陸運関係資料$${^1}$$によると、与那原営業所は1951年9月28日に開設されたようである。同じ資料では、東陽バスの設立日が1951年9月28日$${^2}$$となっていることから、これが初代与那原営業所であろう。
住所は「与那原町字与那原3859」とあるが、これは現在でも存在する住所であり、地図で示すと以下である。
Google Mapを拡大してもらえるとわかるが、現在は東陽バスの整備工場が立地している。前述の琉球政府の陸運関係資料$${^1}$$を再度見てみると、敷地面積の大半が所有地となっていることから、敷地面積が不足するため営業所機能は移動したが、土地を保有していたため整備工場としては残したのかもしれない。
1970年5月当時の航空写真を以下に示す。

(国土地理院の空中写真【MOK701-C12-3】を筆者が加工)
バスが6台程度停車している敷地が確認できるが、これが初代与那原営業所である。
ちなみに後ほど関連するので、周辺のバス停との位置関係を以下に示しておく。初代与那原営業所の目の前には知念高校前バス停が立地している。

OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
2代目与那原営業所は少しだけ東に移動
私の手元にある最古の路線図は、1977年3月14日当時$${^3}$$のものであり、この路線図にも与那原営業所の記載がある。周辺バス停との位置関係は下記の通りである。

(1977年3月14日当時の路線図を元に筆者が作成)
はじめはこれが初代与那原営業所だと思っていた。しかし前の地図で示したように、これが初代与那原営業所であれば、超至近距離で知念高校前バス停があるはずだが、1977年当時の路線図では知念高校前バス停と与那原営業所の間の距離が0.4kmもある。
地図に落としてみると以下のようになり、現在の北板良敷バス停あたりに与那原営業所があったことになってしまう。

(ただし1977年当時は北板良敷バス停は未設置)
OpenStreetMap®を元に作成 ©OpenStreetMap contributors
そこで1977年12月当時の航空写真にて、現在の整備工場がある位置から東に約400mほど進んだところを確認してみた。
すると確かにバスが4台ほど停車している敷地があった。現在の住所でいうと「与那原町字板良敷130」であり、これが2代目与那原営業所のようである。

(国土地理院の空中写真【COK771-C59-17】を筆者が加工)
地図で示すとココである。現在の北板良敷バス停付近であり、先ほどの地図とも一致する。
なお、下記の1970年5月当時の航空写真では、「与那原町字板良敷130」の位置は畑であることから、1970年5月~1977年12月の間に、2代目営業所は設置されたようである。

(国土地理院の空中写真【MOK701-C12-3】を筆者が加工)
3代目与那原営業所は1970年代後半に開設?
1980年に発行されたバス路線図$${^4}$$には、営業所一覧とその住所が記載されているのだが、この時点で与那原営業所の所在地は「与那原町字板良敷604・605」となっており、これが3代目与那原営業所である。
この住所は現在は存在しないため、1984年11月当時の航空写真から場所を当たりたいと思う。
2代目与那原営業所から更に南に進んだところに、バスが4台程度止まっている敷地があり、これが3代目与那原営業所だと思われる。

(国土地理院の空中写真【OK841X-C12-11】を筆者が加工)

(国土地理院の空中写真【OK841X-C12-11】を筆者が加工)
現在の住所にすると「与那原町字板良敷609」となり、地図に落とすと以下の通りである。
2代目から3代目への移転時期であるが、1977年12月~1980年の間ということになる。2代目与那原営業所は10年未満の存在だったようである。
1990年代前半に馬天営業所に移転
場所は違えど創業地の由来を引き継いだ与那原営業所であるが、佐敷町(現在の南城市)へ移転する際に、名称を馬天営業所に変更しており、この際に「与那原営業所」の名が消滅した。移転後の1993年8月当時の航空写真を示す。

(国土地理院の空中写真【上:OKC931-C51B-9、下:OKC931-C52B-9】を筆者が加工)
1990年3月末時点の路線一覧$${^5}$$には与那原営業所の記載があるが、1993年3月末時点の路線一覧$${^6}$$では馬天営業所になっていることから、1990年3月~1993年3月の間に移転したようである。
営業所の跡地にはバス停が設置
現存しない2代目と3代目の与那原営業所であるが、営業所からの利用者が一定数いたためか、営業所が閉鎖されたのちにバス停が新規に設置されている。
2代目与那原営業所の目の前には北板良敷バス停が、3代目与那原営業所の目の前には南板良敷バス停が、それぞれの営業所廃止後に新設されている。
脚注
陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.160
陸運関係資料 バス関係財務諸表(1968年10月~1970年10月 琉球政府企画局企画部)p.113
運賃及び粁程表 昭和52年3月14日改定(1977年 沖縄県バス協会発行)
バスルートマップ沖縄(1980年 運輸経済研究センター発行)
平成2年度 業務概況(1990年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.26
平成5年度 業務概況(1993年7月 沖縄総合事務局陸運事務所発行)p.26