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大好きだった回復期のセラピストたちと大キライだった回復期の外来担当医師+相談員と経営陣?と。。

…お陰で指定難病が発覚したから良いというべきなのか(爆)



恵まれた若き才能あるセラピストたちの中でのリハビリ

脳出血1度目。時期はコロすけ真っ只中で急性期からの転院も簡単ではなく、急性期に1か月以上入院し、退院出来る!と思いきや医師からは転院を告げられ愕然とした(当時はリハビリの流れが分からなかった(苦笑))
 
しかし、何となく選んだ転院先は図らずとも県内でトップクラスの回復期病院で、そこでの入院生活でワイ自身も色々学ぶことになる…

転院初日。当然担当セラピストたちが挨拶にくるのだが…その時、まだアラフォーのワイ、担当が全員ワイより若くてビビる(急性期は半々くらいだった)。ちなみに初代担当PT、翌日から長期離脱となり、2週間後に担当変更の1幕が…(笑)

そんな1幕がありつつも(笑)、それぞれの担当とも打ち解け、それぞれの出す目標/課題をクリアして行き、年末退院は叶わなかったけど(コロすけで一時帰宅すら出来ず)、2月のアタマにようやく退院の運びとなった。

余談︰当時の課題
ST︰処理速度、OT︰基本動作の回復とマヒの弱い側での代替練習、PT︰歩行の安定と継続


1年後、再発と再入院…

退院し、外来リハビリに通いつつ、過ごして1年と少し…前回と同様の平衡感覚の失調、頭痛を感じ、『これは…また来た?』と思い、救急へ→案の定、2度目の脳出血がみつかり、再び入院。急性期に長く居てもリハビリがじっくりできないのは前回で学んでいたため、体調が落ち着いたら即転院を希望し、1週間と少しで転院。また戻ってきたのであった…

同症状での再入院だからなのか知らないけど、奇しくも前回と同じ階、同じ主治医だったのだが、この1年の間にセラピストの顔ぶれが半分以上見ない顔になっている…初日に担当セラピストの挨拶があるが、(勿論前回のカルテもあるだろうけど)『(前任などから)お話聞いてますよ!!』と『…え?』と困惑する様な熱い歓迎を(笑)

今回の担当ST、Nさん。彼女との出逢いがこの医療法人の光と闇を知るのに大いに役立ったのであった…

『変な?人』、襲名(笑)

リハビリの内容としては1年前と同様に進めていった訳だが…幸か不幸か出血量が1度目よりは少なく、高次脳機能的には影響が少なかった様だ。それでも社会復帰を控えてる身として、STは欠かせないリハビリであり、wais(ウェイス)やHDS-R(長谷川式認知症スケール検査)など認知や記憶に関する検査を今回も受ける…しかし、1年前のこと。全然検査内容を忘れておらず、waisの設問の『エカチェリーナ2世って??』に答えたものだから、『答えられた人、初めて見た!』と驚かれ(前入院時、知るか!と思ったのが悔しくて、後々調べてた(笑))、理由を聞いても『それでも憶えてるとか…ナカナカ変ですよ』と変な人認定されたのだった(笑)

今回は高次脳機能面は本当に殆ど問題なく、ドライブシュミレーターの運転練習でも危険ポイントを記憶してるものだから事故らない。色々と特に問題は見当たらないと言うことでSTのリハビリの時間は徐々におしゃべりの時間(意見交換会丿リハビリを自称していた(笑))になっていく…

Nさんは20代後半だが、既に階のSTリーダーを任されているとのことで、歳下の後輩の教育法や悩み相談への受け答えに困ってるとの事で、店舗管理職でもあったワイに助言を求める事があった。実際、Nさんから話を聞いた他の若手STたちがNさん休みの際にワイを割り当てられた時などは相談会と化すことも多かった(笑)

また、1年ぶりの入院で見知った顔のセラピストも初めて見るセラピストも居るわけで…必然的にそういった話も出た。『◯◯さんは◯階に異動しましたよ』『◯◯さんは今は外来リハに移りました』『◯◯さんは…退職しましたね…』などなど。。そんな話で気付くのが以前の入院でもお世話になったベテランセラピストさんたちが退職してることに…

話はその辺にも当然及んで行くこととなる…


当該医療法人の闇

まぁ若い人が仕事が続かない…すぐ辞めると言うのは、昨今は何処も問題になってるけど…話を聞いてると、ここは根深かった。。

実力成果主義と言えば聞こえは良いものの、(企業でもあるけど)現場主義を貫き、経営系や運営系入りを拒むベテランも一定数居る。。そんなベテランの方たちは実力も人望もあるものの、上からすると面倒な存在になってくる…そんな現場主義者たちに上が出した答えは『飼い殺し』だそうで、本人たちより若手で聞き分けの良い人間を上に取り立てる…上がらないベテランに給料は遣れないと昇給させずに据え置く…ベテランでも現場だと現場中堅と給料は変わらない…結果、県内の回復期最大手で、セラピストの人たちも『最新の資機材やトレーニング法などが入ってきて、それで患者さんに取り組めるのは誇り』と言われる病院なのに『教える側』の人材が不足してる。と言っていた。

無論、それはNさんの言い分で、実態とは異なる可能性は大いにある。しかし、実際に前回入院時にお世話になって、やはり周りとは手技のレベルの違いを感じさせてくれたベテランの方々は居ないのだ。当たらずとも遠からずな話だと思える。。。

そして、当該医療法人の恐ろしさを知るのは、退院して後のことだったのだ…


経営陣の闇〜考えは分かるが嘘はつかずに答えて欲しかった〜

リハビリ経験のある人たちは知ってると思うが、リハビリには期間がさだめられており、基本的に整形だと150日、脳疾患だと180日…と言うように。これはあくまで保険算定内のリハビリであり、算定期間終了後は自費リハビリや通所リハビリ、介護保険を利用したリハビリ…など対処のしようはある(これは後に調べて分かったこと)

しかし、外来に通い始めてから2ヶ月(発症から5ヶ月)になったある日、主治医から翌月の打ち切りを告げられる。『そういう風(↑に書いた内容)に法律が変わったから』『昨年、退院後は13単位で受けれましたよ?』『まだ移行期間だったから。今年から無理』『他でリハビリ出来ないんですか?』『病気に対して…のリハビリだから、他でもリハビリは絶対無理』と全く取り合ってくれず。外来の担当PTは『何処も絶対無理は無いと思うけどなぁ…』と言ってくれてて、それも伝えたら『それは担当が分かってないだけ。無理だから』の一点張り。『自主トレ頑張ってね』とリハビリも無いことから継続通院も無くなり、2度目のリハビリ生活は幕を閉じた…

幕を閉じて以降、ずっとモヤモヤが残り、色々調べて↑のことなども分かった。。そんな折、恐らく今にして思えば指定難病の影響(恐らくラクナ梗塞)で、急激に歩行バランスなどの身体症状が悪化した。

当初はリハビリをしなくなったことでの悪化と思い、再度リハビリの必要性を感じ、病院に問い合わせた(時間外(日曜)なので、取り敢えずメールで)。翌日、病院の相談員(社会福祉士)からTEL。メールにも書いた通りの症状(↑記載)で困ってるから、またリハビリできないか?と伝えたところ、『先生に確認して、明日お返事のお電話します』とのこと。それで連絡を待った。

待つこと8日後…折り返しの電話…第一声、『先生にも確認しましたが、やはりダメだそうです』…ブチッと何かがキレる音がした。『何で連絡今日なんですか??翌日返事するって言いましたよね??今病院にかかっていない人の話は後回しで構わないってことですか??』怒りのまま捲し立てる。そこで初めてマズイと思ったのか平謝り。当然そんなことで怒りが収まるはずはなく、『何でこんな事になったのか、上の人から報告してください』と電話を切った。

翌日、病院から電話。出るとまさかの同じ相談員(社会福祉士)『(謝罪のあと)先生が一度診察してみたいとのことなので病院に来ていただけませんか?』…何でそういう話になる?と思いつつ、『…分かりました。で、上には伝えたのですか?』『上司に伝えた上で上司は先生にも相談しろと言うことで、受診の流れになった』との事。後日経緯説明があるかもしれないけど、危機管理能力ガバガバすぎやろ…と半ば呆れと諦めで受診予約の日に病院へと向かうのであった。

予約当日。先生(外来時の担当とは別の医師)は開口一番『伝達ミスなどで、行き違いがあり、不快な思いをさせて申し訳ない』と謝罪。(そこじゃないんだけどな…)と思いつつ、リハビリの件について聞いてみたが、答えは担当だった医師と変わらず。しかし↑の様に調べてた事もあったので、その内容を伝えると、『ウチでは出来ない』と変な返答。

ワイも店舗運営/営業をしたことがあるのでピンと来た。恐らく回転/回収率の良い患者を軸にしたいから、細々リハビリする患者は枠を潰して利幅を薄くさせるから退けたいのであろう…と。

病院とは言え、慈善事業でも何でも無いのだから、その判断そのものに批判は無い。ただ、嘘をついてまで取り合おうとしないのは不誠実以外の何ものでもないだろう。

ただ、先生からは『リハビリもある程度継続してたのに急激に状態悪化することは無い。別の病気が隠れてる可能性もある』と言うことで急性期の病院への紹介状を書いてもらい、検査等経て、指定難病が発覚した…そこはそこで素直に感謝。。

今後は…

…ちなみに後日、病院から経緯の説明の連絡が来ることは無かった(呆)

病態的にまた回復期にお世話になる可能性はあるだろうけど、今後は同医療法人系列にはお世話になりたくない。如何にリハビリ環境や手技が優れていようが、職員の定着率も悪く、患者に対して不誠実な対応をする病院なんて、こっちから願い下げだ。
 
…他の回復期病院の状態も見てみたいしね(笑)

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