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No.1469 今日を生きる

新年に酒を飲んでいるとき、中桐雅夫の詩「きのうはあすに」を思い出す人は多いのではないでしょうか?

「きのうはあすに」 中桐雅夫
新年は、死んだ人をしのぶためにある、
心の優しいものが先に死ぬのはなぜか、
おのれだけが生き残っているのはなぜかと問うためだ、
でなければ、どうして朝から酒を飲んでいられる?
人をしのんでいると、独り言が独り言でなくなる、
きょうはきのうに、きのうはあすになる、
どんな小さなものでも、眼の前のものを愛したくなる、
でなければ、どうしてこの一年を生きていける?

中桐雅夫詩集『会社の人事』(晶文社、1979年1月1日)

その中桐雅夫(1919年~1983年)について、吉備路文学館(岡山市)の人物紹介には、次のようにありました。

 本籍は岡山県倉敷市。昭和一二年神戸高商在学中から詩誌「LUNA」を出す(戦後の「荒地」の源流)。
 一四年、日大芸術科に入り、卒業後四三年まで新聞記者づとめ、以後法政大学で英文学を講じた。翻訳・研究も多いが、中でも「危機の詩人」は英国現代詩論として貴重。
 詩集では、三九年の「中桐雅夫詩集」が高村光太郎賞、五五年の「会社の人事」が歴程賞受賞、日常性の中に深い世界を見つめている。日本現代詩人会の理事長を二期つとめた。

吉備路文学館 「文学者紹介 中桐雅夫」より

「きのうはあすに」の詩は、『会社の人事』(中桐雅夫詩集、晶文社、1979年1月1日)に載っており、翌年の1980年(昭和55年)には、第18回藤村記念歴程賞を受賞しています。その3年後に、63歳で病没しました。
 
新聞では、死因が急性心不全だと報道されましたが、奥さんの回想記『美酒すこし』(中桐文子著、筑摩書房、1985年)で、中桐の死因はアルコール依存症による肝臓障害であったことが明らかにされているそうです。
 
「献杯」とは、
「故人に敬意と追悼を表して杯を捧げる行為のこと」
と言われますが、私は亡くなった人と向き合って飲むこと、(または、亡くなった人の代わりに飲むこと)を言うのだと思っています。昨年も多くの方々が惜しまれながら泉下の客となり、天に召され、隠世されました。彼らの遺徳をしのび、その死を愛しむ仲立ちをしてくれる酒を、中桐雅夫という詩人は苦みと共に味わったのではないでしょうか。

正月元旦の今日、「きのうはあすに」の詩を読み、心奪われ、共に酒を味わい、彼に手向けるのです。今年は、彼が逝って43年目です。


※画像は、クリエイター・imuyamashiさんの、タイトル「2021.12〜2022.2」をかたじけなくしました。imuyamashiさんの家の「近所の神社の梅」だそうです。空の青さと、紅梅の清々しさに魅せられます。お礼を申し上げます。