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No.1284 心で感じる?

韓国時代劇「馬医」、「商道」、「イ・サン」が終わり、新しく始まった6月28日放送(BS日テレ)の「トンイ」(第24話)に「石手紙」の言葉が出てきて興味深く思いました。
 
王妃チャン氏とその兄チャン・ヒジェから命を狙われ左胸に手裏剣で大けがを負った宮廷女官・トンイ(同伊)は、たった一人で命からがら何とか敵から逃れ、気を失っているところを、平安道義州のピョン商会の行首(ヘンス)に助けられます。
 
医師に診させ、手厚く看護し、面倒を見てくれた行首(ヘンス)に感謝してもし切れないトンイは、商いの手伝いをします。明るくて、顔立ちが良くて、賢くて、商才もあることから、行首は彼女を手放すことを惜しみ、トンイが、都城にいる幼馴染で兄同然のチャ・チョンスに何度も手紙を出すのですが、その手紙を隠し、一通も届けられずにいました。

そのことを知ったトンイは、商人に石手紙を託します。商人同士が情報を交換するという山と積まれた石手紙の中から、上司(捕盗庁従事官)のソ・ヨンギと兄同然のチャ・チョンスは、トンイ(同伊)からの石手紙をついに見つけ出します。
「義州 邊商廛(ピョン商会) 同伊」

何と、平安道義州で、トンイは生きていたのです。トンイが行方不明になり120日以上が過ぎていました。今後の「トンイ」の展開が待ち遠しくてなりません。

ところで、私はこの「石手紙」のことを古代の「石文」(いしぶみ)のようなものかなと思っていたのですが、短い手紙のような「連絡石」・「伝言石」とでも言うべきものでした。
 
古代、人がまだ文字を知らなかった時代に、遠くにいる人(家族や恋人)などに自分の気持ちを伝える方法として、自分の気持ちにピッタリ合うような石が選ばれたと言います。

向田邦子に「無口な手紙」(1985年、『男どき女どき』所収)という心惹かれるエッセイがあります。その中に書かれている「石文」のお話に妄想をたくましくしたのは随分前のことです。
 
尖った石なら、病気かな?心がすさんでいるのかな?とか、丸いスベスベした石なら、無事に穏やかに過ごしているのだなと読み取って安心していたのでしょうか。誤解されることもあったでしょうが、推測し忖度するには、互いの心に通い合うものが無ければ成立しないやりとりでしょう。言葉はないのに、何とも雄弁な心の伝達術です。推し量ることの希薄になりつつある社会に求められる心のように思います。
 
映画「おくりびと」(2008年)で、主人公の納棺師・小林大悟(本木雅弘)が川原で妻に小石を手渡して、失踪した父から教わった石文(いしぶみ)について話すシーンがありましたが、向田邦子のあのエッセイ「無口な手紙」から採用したのだそうです。

向田邦子は「現代は、しゃべり過ぎの時代。」だと評したそうですが、石を掌に乗せて、その形状や大きさや触り心地から、石の送り主に思いをはせながら想像し共感するという時間や世界は、現代人にもう訪れることはないのでしょうか。
 
「江戸時代は町人という存在がある都市以外は、文字は一般的ではなかったと言います。プロポーズには小さい石に松の葉を結び付けて贈ることがありました。『小石の松』は『恋しく待つ』のメッセージだったそうです。」
虎次郎さんのブログ、「『小石の松』の石文」(2009年3月30日)に学びました。洒落が利いていて、ちょっと「粋」を感じます。言葉よりも心を感じてドキドキするお話です。


※画像は、クリエイター・もつにこみさんの、タイトル「掘ってトレジャー」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。今の気持ちを託せる石はありますか?