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No.1357 びりっけつ!

「高所恐怖症」の私は、また、「数学恐怖症」の男でもあります。
 
歳はとってみなければ、分からないものです。最近のこと、ついさっきのことなんかはすぐ忘れるくせに、子ども時代のことは色鮮やかに思い出せるのですから不思議至極です。きっと、神様が「人間が子供返りした時に、その楽園でもう一度遊べるように」との思いから、脳内の機能をセットしちゃったからでしょう。
 
田舎の小学校でしたが、各学年が2クラス(竹組と松組)ありました。私は6年間、竹組の生徒でした。あれは、忘れもしない小学校1年生の「算数」の時間でのことです。
 
クラス担任は40歳前後の女先生でした。その日の授業の「目当て」は、
「二種類の二等辺三角形の紙をうまく組み合わせて、風車を作ろう!」
というものでした。
 
ご存知の方もおられると思いますが、65年も前の小学校1年生のクラスの机は、木製で二脚がつながっていて、蓋が開閉しました。私の隣席はMちゃんというお人形さんのようにカワイイ女の子でした。たかだか7歳でしたが、ちょっと憧れてしまうくらい雛には稀な、色白で垢抜けした少女でした。でも、気取らない、愛されキャラでした。
 
私は、Mちゃんの隣で「風車」の形を作るのに苦戦していました。そのうちに、周りから「出来た!」「わたしも!」と弾んだ声が聞こえます。しかし、何度並べ替えても、どうしてもできないのです。そして、Mちゃんもさっさと完成しました。私は、彼女の顔をまともに見ることが出来ません。チラッ、チラッと横目で彼女の机の上にきれいに並べられた三角形の風車を盗み見しながらやるのですが、気ばかり焦ってどうにもならなくなりました。
 
一人取り残されたようで、出来ない自分が悔しくて恥ずかしくて笑い者になったようで、辺りもはばからず「オイオイ」と声を上げて泣きました。S先生もMちゃんも呆れた(引いた?)に違いありません。その後、Mちゃんが優しく手伝ってくれ、何とか仕上げたのですが、それが又、いっそうみじめな気持ちにさせました。忘れられない、顔から火が出そうなワンシーン…。
 
いろんな人生経験をしたおかげで、今では、泣かずに「風車」の形をこしらえられるようになりました。しかし、三角形へのトラウマが残ったことは事実で、私は、三角の関係などに敏感に反応し拒絶してしまいます。これは、怪我の功名でしょうか?
 
そんなわけで「数学(算数?)恐怖症」です。学生時代に数学の出来る友人たちを見てきましたが、彼らの頭の中はどうなっているのかと覗いてみたい気がしたものです。そんなわけで、実際の計算も人生の計算も不得手なうちに、いつしか70代になってしまいました。
 
「いつもビリ天国行きもビリで良し」
 2002年、第2回「シルバー川柳」
 長崎県 79歳 男性の入賞作品