No.805 推してみるか、敲いてみるか?
恥ずかしながら、自分で書いたコラムをろくに読み返しもしないでネットにアップするので、思わぬ間違いに気づかされることがあります。後の祭りです。「推敲」することの大切さを、今さらながら感じています。
『唐詩紀事』(とうしきじ)とは、唐代の詩人(1,150人)について、その詩や小伝、逸話などを収めた書のことだそうです。宋の時代の計有功(けいゆうこう)の編で、81巻。南宋の王憘(おうき)本(1224年)が最も古いとされています。その第40巻中に「推敲」(故事)の元となった興味深いお話が出てきます。詩人の賈島(かとう、779年~843年)と韓愈(かんゆ、768年~824年)が出会って生まれたそのいきさつは?
〇書き下し文
賈島(かたう)挙に赴きて京に至り、
驢(ろ)に騎(の)りて詩を賦(ふ)し、「僧は推す月下の門」の句を得たり。
推を改めて敲と作(な)さんと欲す。
手を引きて推敲の勢を作すも、未(いま)だ決せず。
覚えず大尹(たいゐん)韓愈(かんゆ)に衝(あ)たる。 乃(すなは)ち具(つぶさ)に言ふ。
愈曰はく、「敲の字佳(よ)し。」と。
遂に轡(たづな)を並べて詩を論ずること之(これ)を久しくす。
〇口語訳
賈島が科挙を受験するために都(の長安)におもむき、
ロバに乗ったまま詩作をしている時に、「僧は推す月下之門」という句を思いついた。
(だが、)「推す」を「敲(たた)く」にしようと思った。
手を伸ばして「推す」と「敲く」のしぐさをしてみたが、決められない。
うっかりして、都の長官である韓愈(の列)にぶつかった。賈島は(推にするか敲にするか考え事をしていてこうなったのだと、事の次第を)詳しく話した。
(すると)韓愈は「敲の字が良い。」と助言した。
(そして、二人は)そのまま手綱を並べ、しばらく詩について論じ合った。
この事から、詩文を考えたら何度も練り直すことを「推敲」というようになったというのです。韓愈は、792年に24歳の若さで、中国でも最難関と言われる科挙の試験に合格します。大尹(都の長官)となったのは、810年以降と想像されますから、1200年以上も前に二人の詩人の奇跡的な邂逅が縁となって生まれた言葉、それが「推敲」だったことになります。
日本でいえば、平安京が造られた頃のお話です。ヘーボタン乱打の私です。
※画像は、クリエイター・Yukihiro🧸さんの、タイトル「iPhone花フォト📱🌸 2023年2月②」をかたじけなくしました。ボケの花は、早春に他の花に先駆けて咲くことから「先駆者」の花言葉もあるようです。推敲を生んだ先駆者の二人の面影のように咲いています。お礼を申し上げます。