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No.712 伯楽が、この本に!
人馬一体ならぬ、人馬同体なのでありました。
世田谷の馬事公苑に、ポニーの調教師Yさんがおられたと言います。その彼に取材したノンフィクション作家でエッセイストの吉永みち子さんが訊いたお話です。
「どうしてもうまくいかない馬もいるんでしょうね。」
「言われたことができない馬や、仕込めない馬がいると、人間は言うのさ、こいつは悪い馬だって。でも、そりゃ、人間の方に能力がねえんだよ。自分ができないことを馬のせいにしているだけだ」
「馬が指示通りに動かないで、暴れたりするでしょ。そういう時って、馬が自分にはこういう力があるってアピールしてるんでねえかと思うんだ。それをじっと見てさ、この馬にはこんな芸ができそうだなって考えるんだよ。俺の決めたことを全部の馬にやらせようとすると、中にはできないのもいるわさ。何をやらせようかってのは、まず馬を見て決めることでねえかと思うんだ」
数年前に、除籍された公立図書館の本を、親切さんが「勿体ない」と貰い受けて私にも与えて下さった、その中に『カントリー・ビート』(吉永みち子、家の光協会、1994年刊)の本があり、目が釘付けになりました。
えっ?ひょっとして、私のこと?調教師のYさんが言った「馬」の文字を「子」と置き換えてみると、冷や汗が出てきます。「教え子」であれ、「我が子」であれ、上手く教えられなかったり育てられなかったりすると、子どものせいにして自分のせいだと気づかなかった自分が、若い頃にはあったように思います。気負い(自負心)が空回りして、却って子どもの姿を見えなくしていたのでしょう。
自分の能力の無さを責任転嫁していたに過ぎない稚拙な教師だった私を気づかせてくれるYさんの言葉でした。時計の針は巻き戻せません。機会を与えてもらえるのならお返しをさせてもらいたいと考え、今もチョークを握っています。
※画像は、クリエイター・まきぽんさんの、タイトル「100%の信頼。」をかたじけなくしました。すがすがしく、うるわしい光景です。お礼申します。