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100%の信頼。
大学時代の先輩は色んなことを話してくれる。
「えっ。私が聞いちゃってもいいんでしょうか、それ。」
というようなことまで話してくれる。
先日、その先輩とご飯を食べてきた。
その時、こんな話をされた。
「私、他人のこと100%は信頼できないし、今後もすることは無いと思うんだけど、そのことを前の上司に話したらとても不快そうにされて、それから真面目な顔で『それは発達障害なんじゃないか?』と言われたんだけど、どう思う?」
中々ヘビーな質問だった。
更に、
「仮にもし、『あなたのことを100%信頼します』と言って来る人に出会ったら、私は全力でやめさせると思う。」
と言った。
私は、
「うーーん。いくら大切な人で、好きな人であっても、その人は自分ではないから、100%信頼できるかどうかと聞かれれば、私もできないです。私、自分ですら信用できないですし。言ってることとやってることが違う時もあるし、心にもないことを口にして後悔することもあるし。それから、人に対して『あなたのことを100%信頼しています』と言うことは、ある意味、脅しのように感じられるので、自分だったら言わない台詞だと思います。『人を100%信頼できない』っていうことは、別におかしいことではないと思います。『100%信頼してるよ』と口にする人だって、口にするだけで、自分でも気づいてないかも知れないけど、実際には100%は信頼できていないと思います。『100%は信頼できない』って一見悲しいことのように聞こえますけど、それって、全く信頼していないという訳ではなくて、部分部分で信頼しているという面もあると思うので、おかしくはない。うん。おかしくないと思います。」
と、自分でもビックリするほどスラスラと答えていた。
「うん。そうだよね。『100%信頼してるよ』と言う人に限って、自分の理想を押し付けてきて、そこから外れると『裏切られた』って言いがちだから、私は『100%信頼してる』なんて言葉、使わないな。」
と先輩は少しホッとした顔で言った。
「なんてお堅い会話なんだ!」
と思われるかもしれませんが、
私はこの先輩との会話が大好きです。
先輩と話していると「自分にこんな考え方が眠っていたのか!」と発見できるから。
先輩は質問に対する回答がとても早くて聡明な方なので、先輩のペースに引きずられて自然と私も質問されたら直ぐに答えるようになる。
そのペースに乗ることが、「怖い」とか、「不快」ではなくて、とても心地よいんです。
こんな真面目な話ばかりしている訳じゃなくて、
「『時をかける少女』から数年後の『時をかける熟女』のキャスト誰にする?」
とか、他にもここには書けないくらいゲスな会話で、いい大人がケタケタ笑って、地下鉄でそれを思い出して必死に堪えたりもします。
真面目も不真面目もどちらも楽しい。
「こんな真面目で深い会話を私としてくれる先輩は、私のこと、信頼してくれているのかなぁ」
なんて、帰りの電車の中でにやけた。
信頼って、口じゃなくて行動に現れるもんだよね。
そうだよね。
そっちの方がよっぽど信憑性、あるわ。
先輩の元上司め。思考が浅いわ。
ばーか!ばーーか!
そんな風に思った。